15名の最高裁判所裁判官全員から構成される大法廷の裁判長となる。また、最高裁判所長官が小法廷の審理に出席するときは、常に裁判長を務める(最高裁判所裁判事務処理規則)。ただし、長官は司法権を代表して、皇居での儀式や外国賓客などの公式行事への出席する責任と義務があり、司法行政事務や外部の公式行事があることで裁判所内外での業務で多忙になるためか、小法廷の審理にはほとんど関与しない慣例が続いている[5]。中には横田正俊や竹ア博允のように小法廷の審理に積極的に関与した長官もいる。 最高裁判所が司法行政事務を行うのは、裁判官会議の議によるものとされ、最高裁判所長官が、これを総括する。また、最高裁判所長官は、裁判官会議の議長となる(裁判所法12条
司法行政権に関する権限
このほか最高裁判所長官は最高裁判所事務総長、司法研修所長、裁判所職員総合研修所長、最高裁判所図書館長を監督する地位にある(裁判所法第53条第2項、裁判所法第56条第2項、裁判所法第56条の3第2項、裁判所法第56条の4第2項)。
6月頃には司法行政権に関する話し合いをする高裁長官・地裁所長会合で挨拶を行う[6]。 司法機構の要職人事に関与する[7]。 5月初めに憲法記念日を迎えるにあたって記者会見を開き、司法の現状についてコメントする[6]。 10月頃に新任の裁判官に向けて激励の言葉をかける[6]。 人事官が任命後に職務を開始するまでに宣誓書に署名を行う際に、最高裁判所長官が立ち会わなければならない(国家公務員法第6条)。 最高裁判所長官の報酬は、裁判官の報酬等に関する法律の定めるところにより支給され、その額は内閣総理大臣と同額となっている。 なお、最高裁判所長官は自衛隊を公式に訪問し又は視察する場合その他防衛大臣の定める場合において栄誉礼を受ける栄誉礼受礼資格者に定められている(自衛隊法施行規則13条)。 代氏名最高裁判所判事
その他
待遇
歴代最高裁判所長官
任命年月日最高裁判所長官
任命年月日退任年月日出身
分野出身校修習期前職等[注釈 3]指名した内閣任命した
天皇不信任率
[注釈 4][注釈 5]
1三淵忠彦?1947年(昭和22年)
8月4日1950年(昭和25年)
3月2日裁判官京大東京控訴院部長、
三井信託銀行法律顧問、
慶應義塾大学講師片山内閣昭和天皇5.54%[注釈 6]
2田中耕太郎?1950年(昭和25年)
3月3日1960年(昭和35年)
10月24日法学者東大参議院議員、学習院大学教授第3次吉田内閣8.13%
3横田喜三郎?1960年(昭和35年)
10月25日1966年(昭和41年)
8月5日法学者東大東京大学教授、外務省参与第1次池田内閣8.23%
4横田正俊1962年(昭和37年)
2月28日1966年(昭和41年)
8月6日1969年(昭和44年)
1月10日裁判官東大東京高等裁判所長官第1次佐藤内閣(2改)7.08%[注釈 7]
5石田和外1963年(昭和38年)
6月6日1969年(昭和44年)
1月11日1973年(昭和48年)
5月19日裁判官東大東京高等裁判所長官第2次佐藤内閣(2改)7.13%[注釈 7]
6村上朝一1968年(昭和43年)
11月19日1973年(昭和48年)
5月21日1976年(昭和51年)
5月24日裁判官東大東京高等裁判所長官第2次田中角栄内閣10.33%[注釈 7]
7藤林益三1970年(昭和45年)
7月31日1976年(昭和51年)
5月25日1977年(昭和52年)
8月25日弁護士東大第一東京弁護士会所属弁護士三木内閣12.09%[注釈 7]
8岡原昌男1970年(昭和45年)
10月28日1977年(昭和52年)
8月26日1979年(昭和54年)
3月31日検察官東大大阪高等検察庁検事長福田赳夫内閣12.21%[注釈 7]
9服部高顯1975年(昭和50年)
12月3日1979年(昭和54年)
4月2日1982年(昭和57年)
9月30日裁判官東大大阪高等裁判所長官第1次大平内閣11.07%[注釈 7]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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