最高存在の祭典
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国民衛兵を配して整然と執り行われた祭典ではまず、「無信仰」を象徴する怪物の像が焼かれると「叡智(最高存在)」の像が姿を現し、その横には「美徳の司祭」としてロベスピエールが粛然として起立し、ロベスピエールが「最高存在」に敬意を表し「明日から、なお悪行と専制者と戦う」ことを誓い、その後シャン・ド・マルスまで行進するという理神論的な演出がなされた[3]。演出は画家のジャック=ルイ・ダヴィッドによってなされたが、ジャック・ルネ・エベールジョルジュ・ダントンを粛清したロベスピエールの指令にもとづく周到に練られた、目的意識な市民宗教の儀式であった[3]。これらはキリスト教の神を否定していながらも実際には完璧な宗教儀式の外観を呈していたとも評価されている[2]

これは確かに新しい政治文化の創造という点では革命運動の頂点を示すものであり、ときに無秩序に発散される民衆運動のエネルギーを統制して公民道徳の秩序に適合させる意味合いを有していた[3]。ロベスピエールはこの試みに成功したが、しかし一方では、革命運動を支えていた下からのエネルギーを抑え込む結果ともなった[3]。この祭典の開催された約2か月後のテルミドールのクーデターでロベスピエール自身が失脚してギロチン刑に処せられることとなるが、これとともに、一連の壮大な文化革命も急速な退潮を示すこととなった[3]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「革命的諸宗教」はアルフォンス・オラールの用語である。オラールによれば、革命的な諸信仰はジャコバン独裁期の相次ぐ政治的必要に応え、競合する政治集団によって執り行われた国防目的の方便にすぎなかったし、政治対立の目的でもあり手段でもあるところの人為的創設物でしかなかったので、複数形でしか語りえないものであった。それに対し、アルベール・マチエの考える「革命的宗教」では自然発生的な創設が想定され、いわば、18世紀の哲学のうえに咲いた遅咲きの花であるとする。宗教に関しても、マチエはエミール・デュルケームの思想から発想を得て「個人を社会に統合する規範の総体としての宗教」という考え方を提示した[4]

出典^ a b c プライス(2008)pp.168-172
^ a b c 工藤(2007)pp.50-55
^ a b c d e f g h i j k l m n 谷川(2006)pp.74-76
^ a b c オズーフ「革命的宗教」(1999)pp.43-62

参考文献

工藤庸子『宗教vs.国家-フランスの《政教分離》と市民の誕生』講談社〈講談社現代新書〉、2007年1月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-06-149874-7。 

谷川稔渡辺和行編著 編『近代フランスの歴史?国民国家形成の彼方に?』ミネルヴァ書房、2006年2月。ISBN 4-623-04495-5。 

谷川稔「第二章フランス革命とナポレオン帝政 3.文化と習俗の革命」『近代フランスの歴史?国民国家形成の彼方に?』2006年。ISBN 4-623-04495-5。 


F. フュレ、M. オズーフ 編、河野健二阪上孝富永茂樹ら 訳『フランス革命事典4 制度』みすず書房〈みすずライブラリー〉、1999年8月。ISBN 4-622-05044-7。 

モナ・オズーフ 著、阪上孝 訳「革命的宗教」『フランス革命事典4』1999年。ISBN 4-622-05044-7。 


ロジャー・プライス 著、河野肇 訳「フランス革命とナポレオン帝国」『フランスの歴史』創土社〈ケンブリッジ版世界各国史〉、2008年8月。ISBN 978-4-7893-0061-2。 

関連項目 

理性の祭典

理神論

フランス革命期における非キリスト教化運動

ヨーロッパにおける政教分離の歴史

聖母マリア - 薔薇は聖母マリア(あるいは、アプロディーテー/ヴィーナス)のシンボルである。また、の木も聖母マリア(あるいは、聖母子十字架=救済)のシンボルである。樫の木はゼウス/ユーピテルのシンボルでもある。

外部リンク

The Supreme Being, by Maximilien Robespierre. Source: Internet Modern History Sourcebook, Fordham University, NY.

Decree on Worship of the Supreme Being Source: Church and state in the modern age: a documentary history; J. F. Maclear, ed.; Oxford Univ. Press, 1999.

ウィキメディア・コモンズには、最高存在の祭典に関するカテゴリがあります。










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