替え歌
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日本の曲が海外で別の歌詞がつくこともあり、北朝鮮の軍歌遊撃隊行進曲はハイカラ節の替え歌である。

なお元曲が文部省唱歌や親しまれた童謡の場合、「子供が間違った歌詞を覚えて困る」と教育関係者からクレームが入る場合がある[注釈 1]
番組として

替え歌を用いた番組のテーマソングとしては、「隣組」(ドリフ大爆笑)、「めだかの学校」(三波伸介の凸凹大学校)などがある。

また、替え歌を募集して披露、採点するといった趣向の番組もあった。以下のようなものが有名。

かえうた大合戦(初の替え歌番組だが、3ヶ月で終わった)

お笑い頭の体操(替え歌のコーナーがあった)

欽ちゃんのドンとやってみよう!(同)

ロボタン(第1作)(エンディングテーマ「見ちゃったんだョの歌」の替え歌を募集していた)

スターむりむりショー(オープニングテーマ「ジャンボ!」の替え歌を募集していた)

歌まね合戦スターに挑戦!!(エンディングテーマが「かわいそう小唄」の時代、替え歌を募集していた)

さんまのSUPERからくりTV(「みんなの!かえうた」というコーナーがある)

志村けんのだいじょうぶだぁ(「怪しい流し」というコントがある)

8時だョ!全員集合(志村と加藤が童謡・ヒット曲・CMソング・歌謡曲の替え歌を頻繁にしていた)

お笑いマンガ道場(第3回戦として替え歌マンガがある)

ほかに、初期のボキャブラ天国も、目的は駄洒落であったが、替え歌になっているものが多かった。
放送規制「NHK紅白歌合戦」も参照

かつてNHKでは、番組内での商標の使用を厳しく規制していた。そのため、かぐや姫の「神田川」をNHKの番組で流す際には、歌手自らが「クレパス」の部分を「クレヨン」に置き替えたり、山口百恵の「プレイバックPart2」を流す際には、歌手自らが「真っ赤なポルシェ」の部分を「真っ赤なクルマ」に置き替えたりすることが「暗黙の了解」となっていた。

1964年発売の小林旭の「自動車ショー歌」は、要注意歌謡曲指定制度民放連の制定)に抵触し、事実上放送禁止となったため、その部分を歌詞変更して再発売した。
暗記のため

記憶した内容を思い出しやすくするため、メロディを手がかりに活用しようという趣旨で作られることがある。

記憶したい内容は各々異なるので、広く知れ渡っている替え歌は多くないが、「ウサギとカメ」のメロディで都道府県の名前を覚える、「アルプス一万尺」のメロディで中国の王朝の名前を覚えるものなどがある。
音楽・芸能活動の一環

嘉門達夫の替え歌は「替え唄メドレー」では本歌の1フレーズだけを変えてみせるものであったが、「勝手にシンドバッド」では全曲にラップ風のセリフを当てて見せた。

金谷ヒデユキはその初期にほぼ曲1番分を丸々変えるのを得意にした。

ほかに替え歌を持ちネタとするものに伊集院光ダイス下衆ヤバ夫すわ親治マキタスポーツ清水アキラ清水ミチコ大川興業などがある。

中には、過去の自分の作品を替え歌にする者もいる。さだまさしは「雨やどり」の歌詞を3通り持っていた。サザンオールスターズ桑田佳祐は「私の世紀末カルテ」等の曲をライブなどで2番以降をその時の時事ネタや、ツアー先の土地のネタ、ファンへの感謝の気持ち等を盛り込んだ歌詞に変えて歌うことがある。
著作権

この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。

替え歌は以前から存在した歌のパロディであって、著作権法二次的著作物という扱いになるため、しばしばその著作権問題が浮上する。

既に著作権の保護期間が終了しているものは別として、歌詞部分には著作権における翻案権著作者人格権における同一性保持権の侵害となるので、個人や身内で楽しむ場合を除き注意が必要である[4]

また日本音楽著作権協会(JASRAC)・NexTone等の著作権管理団体では、翻案権・同一性保持権の管理は行っていないため、替え歌を公に発表するときは権利者の許可を得る必要がある[5][6][7]。古いところでは、タモリによるアルバム「戦後歌謡史」は、発売に際してこの問題をクリアできず、1981年にタモリが全責任を負うという形で自主製作の限定版のみでリリースされた。

元曲の歌唱者でも、本人が自ら作詞した曲、あるいは歌唱者や制作側などからの依頼や自身の企画で作詞者が自ら歌詞を改変した場合を除いて、意図的に歌詞を改変して歌唱したりそれをCDリリースした場合は著作権および著作者人格権侵害として作詞者との軋轢を招くこともある(おふくろさん騒動会いたい (沢田知可子の曲))。

替え唄メドレー」シリーズとして数々の替え歌を送り出した嘉門達夫の場合、ライブで歌うなりCDリリースする場合は元曲の作詞者と作曲者と歌唱者、さらに替え歌の歌詞の中に実在の人物の名前が出る時にはその人物にも許可を取っている[8]。ただし許可の範囲も人それぞれであり、全面的許可をする者からライブのみ許可をする者(CDリリースは不可)まで様々である。当然ながら許可を得られなかった場合は公の前で歌唱は不可能となる。ライブでは「替え唄メドレー」シリーズの歌詞をCD収録の物と変えて歌ったり、CDリリースが不可となった曲を並べた「ボツ・替え歌メドレー」といった曲を披露した事があった。それらの中には後に許可が出てCD収録された替え歌も幾つも存在する。また洋楽の替え歌についてはニュアンスの問題で殆どが許可が取れなかったと語っている。

またラジオ関西の「青春ラジメニア」では番組と親交が深い権利者の曲に限ることとし、また放送後に著作権者に替え歌の内容を報告して事後承諾で許可をとっている。
異名同曲異歌詞の例
※は、作曲者による
セルフカバー


「紅の渚」(荒木一郎、1967年) →

「白い夜あけ」(内田喜郎、 1971年)


「ブェナス・ノーチェス東京」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ、1967年) →

「銀座ふたり」(葉子とクリケット、1975年)


「涙は春に」(鍵山珠里、1968年) →

「涙は紅く」(山本リンダ、1970年)


「土曜の夜に何が起ったか」(石川晶、1970年) →

「ミッドナイト急行」(アパッチ、1978年)


恋のダイヤル6700」(フィンガー5、1973年) →

「ダンダン娘」(西田ひかる、1997年) 三菱電機 霧が峰FX CMソング


「ひとりの悲しみ」(ズー・ニー・ヴー、1970年) →

また逢う日まで」(尾崎紀世彦、1971年)


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