熊倉一雄や納谷悟朗の指導を受け、テアトル・エコーの舞台公演に出演するとともに、研究生時代からアニメ作品や洋画吹替の声優に端役として参加した[4]。初舞台は井上ひさし作『11ぴきのねこ』のにゃん吾役[8]。声優デビュー作は1972年公開のアニメ映画『パンダコパンダ』のおまわりさん役[10]。1974年に『破裏拳ポリマー』でアニメ作品への初主演を果たした[4]。「タイムボカンシリーズ」では『ゼンダマン』の主人公・鉄ちゃん / ゼンダマン1号に内定しており、主題歌のレコーディングにも台詞収録で参加していたが、番組初収録直前に体調不良となり、降板した[11](なお、第49話にはコジロー役でゲスト出演している)。その2年後には同シリーズ続編の『ヤットデタマン』に時ワタル / ヤットデタマン役で主演を果たしている。
1977年には野島昭生、神谷明と飲みに行った席で演奏したギターがあまりにも上手だったのがきっかけで、古谷徹、古川登志夫らを呼び込み声優バンド「スラップスティック」を発足[12][13][14][15][16]。リードギターと作詞・作曲を担当していた[12][13][14][15][16]。私生活では1980年6月に結婚[4][17]。テアトル・エコーの正所属となり舞台の演出も手掛けていたが[18]、1990年代に青二プロダクション[7]へ移籍した。
1970年代には、神谷、中尾隆聖、内田直哉、福沢良一らと共に演劇・音楽ユニットフォーインワンとして活動をしていたことがある(曽我部は演出を担当)[19]。