曹長
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海軍はイギリス[注釈 24]を斟酌して編制する方針を1870年10月26日(明治3年10月2日)に示しており[8]明治5年海軍省は下等士官以下の官名を英国海軍官名録に倣い改正することを布告したことから[109]、英国海軍官名録の中から適切な職名を採用して改めることにしたが、それまで曹長・権曹長・軍曹・伍長の職名が使われることがあった[110] [注釈 26] [注釈 27]

1871年2月11日(明治3年12月22日)に海軍服制を制定して軍服や階級章を定めたときに下等士官以下はで曹長・権曹長・軍曹・伍長・卒を区別しており、曹長の帽は黄線3条、権曹長の帽は黄線2条、曹長以下軍曹までは肘上章により水夫長、按針手、砲手、機関手、縫帆手、木工鍜治を区別した[119]

1872年2月5日(明治4年12月27日)、これまで下等士官以下が拝命のときはその艦において艦長が申し渡してきたけれども、権曹長以上は下等士官であっても海軍省において申し渡すことにした[120]

1872年2月20日(明治5年1月12日)に海軍省が定めた外国海軍武官に対応する国内の海軍武官の呼称ではウオルラント・ヲフヰサル(Warrant Officer)を曹長に、チーフ・ペッチー・ヲフヰサル(Chief Petty Officer)を権曹長に対応させている[121]

明治5年には兵部省や海軍省によって乗艦の海軍曹長や海軍権曹長を任官する例が見られる[注釈 28]

1872年5月21日(明治5年4月15日)から降級・昇級等については少尉以下軍曹までは海軍省において伝達することにする[125]

1872年9月27日(明治5年8月25日)の軍艦乗組官等表では艦内教授役介・肝煎・筆生・掌砲長・水夫長・木工長・機関士副を二等中士に分類して曹長相当とし、肝煎介・二等筆生・掌砲次長・水夫次長・指揮官端舟長・甲板長・按針長・信号長・帆縫長・造綱長・木工次長・火夫長・鍛冶長・厨宰を一等下士に分類して権曹長相当とした[126]

1872年10月30日(明治5年9月28日)に海軍中等士官曹長以下の禄制を定めたときに、一等中士以下を乗艦の官員に充て、曹長以下を海兵官員に充てることとした[127]
海兵隊

海兵隊は1871年(明治4年8月)から募集編隊を始めており[128]、兵部省官等表に十一等は曹長、十二等は権曹長として掲載した[21]

明治5年には兵部省や海軍省によって海兵の海軍曹長や海軍権曹長を任官する例が見られる[注釈 29]

1872年5月21日(明治5年4月15日)から降級・昇級等については少尉以下軍曹までは海軍省において伝達することにする[125]

1873年(明治6年)5月8日に陸軍と揃えるために海軍武官官等表を改正し権曹長を廃止した[132]。この際に海軍省が定めた曹長以下の外国名との比較によると曹長をサーヂェント・メチヨルに対応させている[133]

1875年(明治8年)11月12日に布告した海軍武官及文官服制(明治6年11月改定)の海兵隊服制・下によると、砲兵・歩兵とも給養課・陣営課曹長の上衣には他の曹長の両腕にある桜花がない、常服の両腕の山形線の数は砲兵・歩兵とも曹長は4本である[134]

1876年(明治9年)8月に海兵を解隊した[135]。その後、配置転換が完了したことから、1878年(明治11年)2月19日に海軍文武官官等表から海兵部の部目を削除して海兵隊の曹長は完全に廃止された[136]
自衛隊

自衛隊では、曹長はの最上級である。陸海空各自衛隊でそれぞれ、陸曹長、海曹長、空曹長と呼称される。准尉(准陸尉、准海尉、准空尉)の下で、1曹(一等陸曹・一等海曹・一等空曹)の上。自衛隊では、長らく1曹を下士官相当階級の最上級として旧陸軍の曹長や旧海軍の上等兵曹に相当する階級とされてきたが、人事運用の改善のため准尉が置かれたのに続き、定年が54歳に延長されたため、1980年(昭和55年)11月29日に曹長の階級が新設された[137]。このため、自衛隊の曹長は旧軍の曹長や上等兵曹のひとつ上位にある階級にあたり、諸外国軍隊における上級曹長や上級上等兵曹に相当するといえる。なお、2010年平成22年)に「上級曹長階級の新設とともに准尉階級を廃止する」案があった[138][139]が白紙撤回された。

一般隊員が曹長に任じられるのは1曹からの昇任によるが、防衛大学校や一般大学を卒業して幹部候補生を命ぜられた者はこの階級から始まる[140][注釈 30]

曹長の階級章及び英訳区分 陸上自衛隊 海上自衛隊 航空自衛隊
英訳陸曹長:Sergeant Major (SGM)海曹長:Chief Petty Officer (CPO)空曹長:Senior Master Sergeant (SMSgt)
甲階級章
(海自の右は丙)
乙階級章
詳細は「下士官#自衛隊」を参照
消防曹長

消防曹長とは、1913年(大正2年)の内務省令によると警視庁消防手などの職名で消防曹長たる消防手の月俸の上限は他の消防手の月俸よりも高くすることができた[141]。消防曹長を含めて警視庁消防手は判任官の待遇とし、判任官である消防士の指揮監督を受けた[142]1918年(大正7年)4月1日より大阪府消防手も判任官の待遇とし消防曹長の職名を設けた[143]1935年(昭和10年)に消防手のうち判任待遇の者について服制を定め、消防曹長は袖章・領章などで他の判任待遇消防手と区別した[144]

太平洋戦争大東亜戦争終戦直後における消防吏員の階級のひとつ。消防士補の下、消防手の上。5階級中第4位。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 五国対照兵語字書によると曹長は、フランス語: Sergent-major、ドイツ語: Feldwebel, Oberfeldwebel、英語: Sergeant-major、オランダ語: Sergeant-majoor にあたる[1]
^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[4] [5]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[6]
^ 兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[7]
^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示され、各藩の兵も陸軍はフランス式に基づき漸次改正編制させていった[8]


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