曹長
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^ 明治5年8月9日に海軍省内で諸工水火夫掛より軍務局へ伺いがあり、曹長・権曹長・軍曹・伍長の職名は英国海軍官名録にはないため、諸工水火夫掛において管轄になるものは海軍官名録の中から適切な職名に改めたいこと、また、曹長以下の職名のものはすべて水兵本部[注釈 25]において管轄になる理解していると申し入れがあり、これに対して軍務局は追って改正するまでは従前の通りと答えている[110]。また、同年8月10日に海軍省内で造船局より軍務局へ、水夫長は英国海軍官名録に3等あるけれどもどの等級に相当するかについて伺いがあり、曹長に相当するとした[112]
^ 海軍では下士以下は箱館を平定した明治2年5月以前[113]は服役年に算入しないが[114]、明治元年から明治3・4年の際に政府直隷の艦船及び旧諸藩より献納した艦船における乗組員の官職名のうち実地軍人の職務に従事していたものは、官等表に掲載する純然たる本官ではなくとも服役年計算の際に総て軍人として取り扱うことにしている[115]。艦船乗組員の官職名のうち下士以下には一等下士官・二等下士官・機関士補・水火夫小頭・水火夫小頭助・楽手・一二三等水火夫等がある[116] [117] [118] [115]
^ 明治5年1月12日に孟春艦乗組の北村知太を海軍曹長に任じた[122]。同年2月7日に春日艦乗組の下等士官である林田利八、西田喜七郎、森永蔵五郎、坂本嘉八、渡辺善之助を海軍権曹長に任じた[123]。同年5月9日に春日艦海軍少尉の二ノ方重邦を海軍曹長に任じた[124]
^ 明治5年2月29日に水勇の新納淳一を海軍曹長に任じ、水兵本部分課如故とした[129]。同年6月22日に海軍軍曹の桑波田十郎を海軍権曹長に任じ、同じく海軍軍曹の岩永一郎を海軍権曹長に任じた[130] [131]
^ 1980年(昭和55年)11月29日以前は1曹から始まる。

出典^ 室岡峻徳、若藤宗則、矢島玄四郎 ほか 編『五国対照兵語字書』 〔本編〕、参謀本部、東京、1881年2月、872頁。NDLJP:842999/445。 
^ 国立国会図書館 (2007年1月). “ヨミガナ辞書” (PDF). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヨミガナ辞書. 国立国会図書館. p. 110. 2023年1月9日閲覧。
^  太政官『海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク』。ウィキソースより閲覧。 
^ 内閣官報局 編「第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)」『法令全書』 明治3年、内閣官報局、東京、1912年、357頁。NDLJP:787950/211。 
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^ a b 「常備兵員海軍ハ英式陸軍ハ仏式ヲ斟酌シ之ヲ編制ス因テ各藩ノ兵モ陸軍ハ仏式ニ基キ漸次改正編制セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070892100、太政類典・第一編・慶応三年?明治四年・第百十四巻・兵制・雑(国立公文書館)
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^ 「薩長土ノ三藩ニ令シテ御親兵ヲ徴シ兵部省ニ管轄セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070858800、太政類典・第一編・慶応三年?明治四年・第百八巻・兵制・徴兵(国立公文書館)
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^ 「陸軍軍曹ヨリ兵卒ニ至ルマテノ等級照会」国立公文書館 、請求番号:太00424100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年?明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一
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^ 「陸軍徽章増補改定」国立公文書館、請求番号:太00450100、件名番号:005、太政類典・第二編・明治四年?明治十年・第二百二十八巻・兵制二十七・徽章一(第3画像目)
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^ JACAR:A15112559500 (第1画像目から第2画像目まで)
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^ a b c d e JACAR:A15112559500 (第3画像目から第5画像目まで)
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