大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷期の氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸線の位置が移動した。更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があった。海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸地となっている。 氷期と間氷期を繰り返した[注 4]。総計で15回の氷期があった。その主たる要因は地球の回転軌道の性質からもたらされる変化のために生じる太陽放射量の周期的な変動である(ミランコヴィッチ周期)[3]。 更新世 完新世
気候
200万年前 - ヒーバー氷期、ヒーバー?ドナウ間氷期
100万年前 - ドナウ氷期、ドナウ?ギュンツ間氷期
80万年前 - ギュンツ氷期(ネブラスカ)
50万年前 - ギュンツ-ミンデル間氷期(アフトニア)、ミンデル氷期(カンザス)
40万年前 - ミンデル-リス間氷期(イリノイ)、リス間氷期
25万年前 - 12万年前 リス氷期、
7万年前 - ヴュルム氷期(ウィスコンシン)(最終氷期)、リス-ヴュルム間氷期(サンガモン) - 北半球に巨大な氷床が発達しはじめた。カナダおよび米国北部、北西ヨーロッパの大部分を覆い、別の氷床がアルプス山脈とシベリアの一部を覆った。南半球ではそれほどでもなかったと考えられている。南極大陸は第四紀を通じて棚氷に覆われていた。[4]。
2?1.8万年前 - 最寒冷期
1.4?1.2万年前 - 古ドリアス期(小寒冷期)
1.2万年前 - アレレード期(温暖期)
1.1万年前 - 新ドリアス期
生物
ヒト属が進化(原人ほか)。現生人類(ホモ・サピエンス種)も中期に出現。更新世の間にヒト亜族の大半が絶滅。中国科学院などはアフリカの10集団を含む50集団の遺伝子情報を解析し、更新世の人類の集団規模を推定。その結果、およそ93万年前に集団の個体数が激減するボトルネックを経験していたことがわかった[5][6]。この時期は急激な寒冷化により、人類の数は1,280人ほどにまで減っており、この絶滅寸前の状態が12万年ほど続いたようである。これは実際に人類の化石がほとんど発見されていない時代と一致する[5]。80万年前ほどになると、気候の回復や火の利用などにより、人口は急激に増加したとされる[6]。最終的に現生人類のみが生き残った。
北京原人
ジャワ原人
ネアンデルタール人
ホモ・サピエンス・サピエンス
更新世の終わり頃から、大型の哺乳類の絶滅が始まる(特に北米大陸で顕著だったという)。これは完新世まで続く。
マンモス
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 洪積世の名は地質学に時期区分が導入された17世紀にこの時代の地層がノアの洪水の反映と信じられたことによる。現在では神話に結びつけることは望ましくないため、この区分名は使われなくなった。
^ mya、m.y.a.とは million years ago の略で、百万年前のこと。英語版Wikipedia参照 ⇒ mya (unit)
^ 千葉県市原市の養老川沿いに、この時期に発生した地磁気逆転の痕跡の残る露頭があることから。 小湊鉄道公式ウェブサイト. “ ⇒市原のパワースポット(地球磁場逆転地層)のご案内”. 2017年11月16日閲覧。
^ 地域によって異なった名称が与えられている。以下の名称はアルプス地域名(北アメリカ)(リチャード・サウスウッド著、垂水雄二訳 『生命進化の物語』 八坂書房 2007年 301ページ)より。
出典^ a b c “INTERNATIONAL CHRONOSTRATIGRAPHIC CHART (国際年代層序表)