暴力
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児童虐待を行うのは主として母親(実母)である[注釈 6]。母親が子を殺してしまう事件、母親が何ヶ月?数年に渡り、きわめて陰湿なやりかたで子供をいびり、肉体的にいためつけて、殺してしまう事件も時々起きている。特に幼児は自分の判断で親から逃げ出すこともできず、(大人のようには)自力で相談相手を見つけたり公的な機関にかけこむことができないので、極端に悲惨な状態に陥る。(→ 母親父親など)。逆に家庭内の年配の人を虐待することは「高齢者虐待」とよばれている(→ など。特に高齢者が、すでに中年になった「子」に虐待されるケースが多い)。なお英語では「ドメスティックバイオレンス、DV)」という用語もあり、この用語を日本語にあえて訳す場合は家庭内暴力という訳語があてられるのだが、なぜかこの「DV」という用語が持ち出される時は、母親が子供に対してふるう暴力のことはたいてい忘れ去られてしまい、「配偶者による暴力」の話ばかりに焦点があてられてしまう傾向がある。手や足による暴力を誘発しないためには、まず自分の側が言葉による暴力をふるわない、自分の側が相手を傷つけるような言葉を(無意識のうちに、無配慮に)使ってしまっているということに気づくということが肝要になる。(夫婦喧嘩の記事も参照可)(→ 配偶者)。なお家庭の中の人間関係のほとんどは「血縁関係」であり、つまり基本的に簡単には「切る」ことができない関係であり、親が子にふるう暴力であれ、子が親にふるう暴力であれ、非常に悲惨であり、深刻である。一方、「配偶者関係」だけは、もとは「他人」であった二人が役所に提出した「婚姻届」により成立させた契約関係なので(いわば人工的な関係なので)、その深刻度は異なる。深刻度が異なるというのはどういうことかというと、夫婦間で「言葉による暴力」であれ手や足による暴力であれ、互いに暴力をふるうような関係になったら、(多少の努力が行われることがあるが)、そもそも「言葉による暴力」が行われた段階で、二人の間には「愛」はほぼ無い関係になってしまっている、互いに憎み合う関係になってしまっていることはよく分かってしまっているので、結局は(弁護士などをはさむことで)離婚という形で互いに離れることで解決することが世の中では一般的に行われている。近年の統計が明らかにしていることは、結婚した男女のおよそ半数が離婚することで夫婦の「不和」にともなう諸問題を解決している。

学校内で主として生徒によっておこなわれる暴力は「校内暴力」(スクールバイオレンス)とよばれている(→ 生徒)。学校内では、教師などが、生徒に体罰などの暴力行為をふるうこともある(→教師教育委員会)。

また、家庭と同様に閉鎖的な共同体である宗教団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力がおこなわれている場合がある[注釈 7]。また、企業の内部でも、弱い立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力がおこなわれていることがあり、それらの中には、最近では「パワーハラスメント」という用語でとらえられるものもある(→ 雇用主上司ブラック企業)。
暴力に対する評価や対処

歴史的にみれば、今日、他人を暴力によって支配しようという傾向は正常な状態ではないとされる傾向にある。たとえば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪に問われる場合がある(詳細は、後述の日本の関連法規を参照のこと)

また近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)にPTSDなどの心理的ダメージを後々まで残し得ることが知られるようになってきた。

前述のように、非暴力が規範として示されるようになってきているが、それでもその規範が守られず、心理的暴力や身体的暴力がふるわれることがある。

暴力にいかに対処するかが問題になってくる。『現代哲学辞典』によると、暴力への対抗は、「暴力と非暴力」や「善悪」の対立ではありえない、と言う。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけだ、と同辞典では説明されている[3]。「暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。」と言う。社会学者マックス・ウェーバーは「国家の成立にあたっては軍隊警察といった暴力を行使できる組織を正統的に独占することが必須である」とした(暴力の独占)。

マハトマ・ガンジーは、暴力に暴力で対抗するのではなく、非暴力で対応することを説いた。

異民族間の紛争では、暴力に暴力で応酬している限り、次第に暴力が過激化するばかりで収拾がつかなくなることも多い。そうなると、双方にとって深刻な被害や悲劇的な結果をもたらす。そのような場合、見かねた第三国・国際機関・宗教者などが調停に乗り出すことがあり、相方の代表に対話を促すように働きかけを行い、第三者として対話の場に同席することもある。対話が成功し、紛争が沈静化することもあるが、なかなか対話が進まないこともある。経済平和研究所によると、暴力によって世界経済がどれだけの損失損害を被ったかを算出することも可能である。具体的には、2019年に14.4兆米ドル(2019年時点で約1,550兆円)である[4]
昇華

暴力をいくらか生産的な面に転じるはたらきを昇華という。攻撃衝動は昇華としてスポーツにむけられるし、芸術の分野ではハードボイルド小説ミステリーロマン主義の一部などがあげられる。

ただ、わいせつなど性描写とならんで表現の自由に絡みがちな面はあり、規制には賛否をひきおこしやすい。過度の規制はつつしむべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば裁判で争われる。
日本の関連法規

暴力の行使は刑法では、傷害罪暴行罪強要罪強盗罪恐喝罪器物損壊罪などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、暴力行為等処罰ニ関スル法律航空機の強取等の処罰に関する法律迷惑防止条例などがある。

暴力(ぼうりょく)[ 日本大百科全書(小学館) ]ヘルプviolence昔の古い何の権威もない本に、暴力という文字がのっているだけで、それを書き写したのをyahoo百科事典の暴力の項目にして新しい権威に見せかけている。
暴力の無い状態:平和

暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態などを一般に平和と呼ぶ。


日本では外国との戦争の無い状態が平和と通称される。暴力とは無関係。

日本では警察や自衛隊による外国との戦争が行われない状態が続き、一般に平和と呼ばれる状態が続いている。

平和ボケした警察や自衛隊、病院が、利用者に対する虐待やゲームをして、長年、利用者に暴力をふるい続けて裁かれないのが現実。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ アーレントは、人間は個人として力をもっており、権力は他者の同意にもとづいてくわえられる力だが、暴力は他者の意志に反して加えられる力だと位置づけている。
^ 物理的に犯罪者生命破壊する事で再び同様の犯罪が起きないようにするという側面もあるが、日本合憲と認められた死刑目的は、犯罪者予備軍への見せしめによる新たな犯罪発生の予防のみである。
^ 近年の国家間によるものではないテロリズムなどに関して、そのような意見対立がおおくみられる。また、パレスチナ問題でも同様の問題がみられる。
^ その当時は実態や規模が把握されておらず、現在も正確な数は不明であるが、後の諸研究によると、実は数百万人単位の人間が殺されていたとされている(把握しやすい数字、すなわち短期間に限定した統計的な記録で、直接的に殺したと判明している人数だけでも約130万人とされており、更に期間をひろげ、かつ社会的抑圧や飢饉(「構造的暴力」も参照)で死亡した人数までふくめれば、その数は数倍にふくれあがるともされているため)。
^ テロリズムには、特定の権力者に直接にむけられるもの、体制全体に心理的圧迫をあたえて何らかの政策をやめさせるために無差別に人を狙うものなどのタイプがある(テロリズムテロ事件の一覧を参照)。近年になると、国家といったような明確な対象をもたない暴力もめだってきており、いわゆる"環境テロ"といったものもあげられる。
^ 例えば、東京都の平成24年度の統計(総件数3,705件)で、虐待者の66.2%が実母である。実父は21.9%にすぎない。
^ マインドコントロールのためにおこなわれている場合もある。

出典^ 中山元『思考の用語辞典…生きた哲学のために』筑摩書房ちくま学芸文庫〉(原著2007年2月)、450,454頁。 
^ R・E・ニスベット、D・コーエン『名誉と暴力:アメリカ南部の文化と心理』石井敬子、結城雅樹(編訳) 北大路書房 2009年 ISBN 9784762826733 pp.91-114.
^ 山崎正一市川浩 『現代哲学辞典』 講談社、1970年、559頁。
^ Pandit, Puja (2022年1月12日). “The Economic Impact of Violence Comes with a Hefty Price Tag” (英語). Vision of Humanity. 2023年4月8日閲覧。


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