暴力団
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1935年(昭和10年)の摘発は、東京以外の府県でも警察に加え内務省警保局が協力した大掛かりなものとなり[8]、同年8月末までの全国の検挙者数は19200人を超えた[9]

太平洋戦争終結直後は、日本が連合国に敗北し焦土と化したことで物資が不足し闇市が増えていくことになった。露店を本職としているテキ屋系団体が増えていった原因は、敗戦による日本社会の治安が極めて悪かった事があげられる。その中で、新たに戦後の混乱の中で形成された「愚連隊」(ぐれんたい)などの不良集団から暴力団が誕生することもあった。警察側も急成長する暴力団に対して摘発に乗り出し、警視庁管内だけでも1950年(昭和25年)4月に約5000人、同年7月には約200人と大量検挙(暴力団狩りと表現)を行ったが、多くを釈放せざるを得ず[10]焼け石に水の状態が続いた。

その後、日本の急速な経済復興に伴い沖仲仕芸能興行など合法的な経済活動にのみ従事する「企業舎弟(フロント企業)」も生まれた。現代の暴力団は的屋の系譜を継ぐ団体(的屋系暴力団)、博徒の系譜を継ぐ団体(博徒系暴力団)の両方があるが、明確な区別は建前上でしかなく、様々な非合法活動を行っている。この当時の暴力団は、公然と活動していることが多く、警察との裏取引(いわゆる「お付き合い」)を行ったり、メディアに露出する傾向もあった。

また、バブル景気の影響により、暴力団の勢力が増大した時期(1986年?1991年)があり、その時期の暴力団は全国の地価高騰を背景に、地上げ屋を行っている。その犯罪行為によって億単位の金を手にする暴力団若手幹部が現れたものであった[11][12][13]

1992年暴力団対策法が施行され、暴力団は公然の場で活動がしづらくなり資金獲得活動の変更を迫られ、堂々と組の看板を出して事務所を開くことが難しくなった。また2000年代に入り日本全国の地方自治体で暴力団排除条例の制定が進むと構成員に対する日常生活への規制も進み、構成員と判明した人物は、電力都市ガス水道の使用契約、公営住宅への入居や同居、生活保護児童扶養手当の受給、銀行口座の開設、クレジットカード作成、融資の契約などを拒否されるようになった。2013年に発覚したみずほ銀行暴力団融資事件では、自動車を購入した暴力団員へのローンにかかわったみずほ銀行の会長や頭取らが辞任した[14]。このように、各法と条例で暴力団関係者の基本的人権の侵害が懸念されるほどの規制が行われているが、イタリアのマフィア対策統合法のような暴力団の存在自体の非合法化はなされていない。(#構成員と準構成員であることのデメリット参照)

暴対法と暴力団排除条例の施行、日本社会の少子高齢化の進展により、1960年代に最盛期を迎えた暴力団は勢力の減退を続け、2023年時点で全盛期の約9分の1の構成員数と準構成員数になり、その半数が50代以上と高齢化している。(#構成員と準構成員の年齢構成の変遷(高齢化)参照)

山平重樹によると日本で一番古い系統を持つ組織は指定暴力団・松葉会の二次団体である博徒系の大久保一家だという[15]
組織
組織名

暴力団自身は自らの組織名として、創設者の姓名、発祥地や拠点とする地名などに「」「」「一家」「連合」「連合会」「興業」「総業」などを添えて名乗る場合が多い。江戸時代からほとんどの団体は親から継いだ「一家」を冠し、傘下に「組」を冠する団体を置いていた。明治から昭和にかけて複数の一家が集まった「会」などが現れた。令和の現在も「会」の傘下に「一家」を置き、さらにその傘下に「組」や「興業」を置く団体が多いが最大勢力の山口組に関しては他の暴力団に比べ新興組織であるため例外と言える。傘下団体は企業右翼団体NPO法人のような組織名を掲げ、一般的な団体と装って資金獲得活動に勤しむこともある。
組織構造典型的な一家構成の例

日本のヤクザは通常、親分(組長)に対して弟分と子分が絶対的に服従する家父長制を模した序列的・擬制的血縁関係を構築することで、この関係によって強固な結束を確実なものにする。一般に、盃事と呼ばれる儀式を経ることによって強い絆で結ばれる。組員は、組長から見て弟分(舎弟)と子分の2つに大別される。子分から見て叔父にあたる舎弟の方が序列は上だが、跡目継承権は子分が上である。組長と組員のみの組織を1次団体と呼ぶ。組員がさらに自らを組長とする団体を組織した場合、この団体は2次団体と呼ばれる。2次団体の組員もまた、自らを組長とする3次団体を組織する。組のヒエラルキー構成

これを繰り返すことによって暴力団はピラミッド型の階層構造を形成する。例えば山口組は、5次団体までの存在が確認されている。各階層の団体において、当該組長と盃を交わした組員を直参と言う。暴力団組織においては子分相互の間においても厳格に上下関係があり、「分違い(ぶちがい)」といって暴力団社会における一種の人物的な重みの違い、すなわち「貫目(かんめ)」の違いによって上下的な関係がきまり、兄弟盃(的屋系暴力団では義兄弟盃)と言われる盃事によって擬制の兄弟分となる。

組長が引退・死亡した場合には、組員の中から新たな組長が決められる。個々の組織の状況にもよるが、長男に当たる若頭が選ばれる場合が多い。新たな組長が就任すると、他の組員との間で盃直しと呼ばれる儀式が行われ、新たな序列に基づく擬制的血縁関係が再構築される。先代組長が跡目を指名しなかった場合には、組員同士の話し合いや入れ札(投票)で決められる。跡目選定を巡る内部対立から組織分裂に到った例としては、山口組からの一和会の分裂が挙げられる。
資金獲得活動と組織内の金の流れ指詰めによって小指の第二関節から先が無いヤクザ

暴力団はヤクザ者のギルド、または相互扶助団体のようなものである。企業のような給与はなく、組に入り立ての時期に組長の家などに住み込んで雑務を行う「部屋住み[16]の時に組長や兄貴分から貰える小遣いを除けば、各組員は自分自身で生活資金を含めた金を稼がなければならない。親分・子分関係は徒弟制度という側面もあり、建前上は「食うや食わずの若者に渡世を教える」ということになっており、部屋住みの時期に親分や兄貴分から「シノギ(凌ぎ)」と呼ばれる資金獲得の手段を学ぶ。

一方で、組織は「子が親を養う」(親孝行)の建前のもと、組員が代紋を使用すること(シノギの際に組織の名前を使用する等)の対価として組員から一定額の会費を上納させ運営経費に充てる。大組織の親分になると自らの手で違法なシノギをする必要はなく、上納金を組織の運営費や活動資金に充てるほか、上納金で豪邸を構え、愛人を囲い、高級外車に乗り、豪奢な生活を送るのが実態となっている。組員の上納金に関しては2015年の山口組分裂騒動が起こった時点では、直参組長たちに月100万円以上もの上納金が課せられていることが話題となり、同時期の文献には幹部で月40万 - 50万円、二次団体の若頭クラスで月25万円、平組員だと1万円弱を組に収めるとある[16]。また、義理掛けなどの慶弔費もこれとは別に徴収する。また各組織ごとに企業舎弟や顧問先などをもち、そこで得られた利益も上納金として上部組織に納められるようになっている。近年では高額な会報や上部組織の関連企業が扱う各種備品の購入を強要されることもあり、度重なる上納金の強要が組織内の対立と分裂の要因ともなっている。

シノギでは、みかじめ料徴収などの恐喝行為、意に沿わない者や建造物等に対する放火銃撃売春の斡旋、覚醒剤麻薬などの違法薬物取引強盗窃盗賭博開帳、誘拐による身代金闇金融総会屋などの非合法な経済活動、何らかの理由で公に出来ない交渉事の請け負いや介入などを行うことが多い。また、日本刀銃器などを用いた団体間の抗争を行うことがあり、それによる殺人事件も発生している。警察庁では、特に覚せい剤取締法違反、恐喝、賭博及びノミ行為の4種類の犯罪によるシノギを「暴力団の伝統的資金獲得活動」と位置付けているが[17]暴対法暴力団排除条例などの施行後は減少傾向にある。一方で、特殊詐欺や取引単価の高い海産物を狙った密漁などが増加傾向にある[18]

また、法と条例の規制によりシノギが難しくなったことによる組員の困窮化と犯罪の巧妙化と悪質化が問題となっている。


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