暴力団
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被差別部落の詩人植松安太郎は「ご承知のとおり山口組のなかの70%は部落民だといわれているけれど、関東だって切った張ったのやくざの手下や用心棒のなかには部落民がいっぱいいるわけですよ」と語っている[36]

猪野健治は、『やくざと日本人』の中で、「ヤクザ組織の構成員は、そのほぼ70パーセントが階層底部に沈殿する被差別階層で占められている」と記している[37]。また、昭和中期の関西北部九州部落の悲惨な現状を取り上げ、日本社会に「やくざとなるか土方になるか」しか、選択肢の無い若者が多く存在する事がやくざの温床であるという見解を示しつつ、自身の取材から得た印象として、もとより体系的な統計があるわけではないが、と断りながらも、現在の暴力団員の半数は部落も在日朝鮮人も出自に持たない「市民社会からのドロップアウト組」だろうと推測している[38]

2022年の政府統計によると、その年に刑務所に入った受刑者のうち暴力団加入者の国籍別比率は、日本国籍587人で約97.2%、韓国朝鮮籍11人で約1.8%となっている[39]

溝下秀男は二代目工藤連合草野一家(後の三代目工藤會)総長時代の2007年に発売された映像作品『ドキュメント・九州任侠界 クライシス21』でのインタビューにて、学校に行ってない者や、部落、在日韓国人・朝鮮人などが組織の7割方占めている旨を語っている。

六代目山口組組長・司忍は2011年に行われた産経新聞のインタビューにて「山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、在日韓国、朝鮮人や被差別部落出身者も少なくない」と語っている[40]

元・読売新聞記者で長年、日本の暴力団を取材した経験を持つジェイク・エーデルスタインは、自身のブログの中で「今日のヤクザの約3分の1は韓国系」と記述している[41]

弁護士・遠藤誠は1992年2月に放送された『朝まで生テレビ!』の「激論! 暴力団はなぜなくならないか!?」と題した回に出演の際、日本全国の暴力団員と接触したうえでの結論とし、「3分の1は同和地区出身、残り3分の1は在日韓国人・朝鮮人、残り3分の1は社会的落ちこぼれ」だと語っている。

溝口敦は『週刊ポスト』2017年 7/21・28 合併号の「ヤクザと在日」と題した記事にて「暴力団業界に在日が多いのは事実」とし、「在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者を排除しない」という伝統的な側面を紹介している[42]

1994年に韓国の週刊誌『時事ジャーナル』が在日韓国人・朝鮮人のヤクザの実態と歴史について取材している[43]。稲川会の相談役である韓国生まれの在日1世のヤクザによると6万人いるヤクザのうち約10%の6千人が在日だと話し、中間幹部クラスに多くても代表クラスには少ないと言い、その理由は外国籍の人物が7年以上の服役を経験した場合、国外退去になる日本の法律のためで、それなりの犯罪を犯した在日のヤクザは逮捕される前に韓国に密航するため、釜山には日本から逃亡した在日のヤクザが多いという。山口組の大阪本部顧問である在日のヤクザは在日がヤクザ業界で勢力を持つに至った理由を話している、太平洋戦争が終わった後、米軍に占領された日本は警察が無いも同然で、日本に残った在日たちが日本の主要な闇市を独占して繁栄した、東京銀座東声会が、大阪ミナミ明友会が掌握していったが大阪は同じ在日のヤクザである柳川次郎率いる柳川組が先頭に立った山口組の攻撃を受け崩壊した、五代目山口組直系幹部120人のうち20人を柳川組出身の在日が占めた。在日のヤクザは日韓両国政府の極右関係者と緊密に接触し用心棒の提供、利権事業への参加などを行い、在日本大韓民国民団の行動部隊として朝鮮総連への破壊工作も行っていたという。韓国政府と緊密になったきっかけは1965年の日韓会談で、韓国側の政界人の警護を東声会と柳川組が中心となり韓国系ヤクザが数百人規模で引き受けた、その対価として韓国で政界関係者との親交を誇示すれば日本の警察に手配された時に韓国へ逃避する条件も与えられた。日本の政財界の実力者と交友を結んでいた在日のヤクザ幹部に韓国情報機関は情報源として依存し、サッカー卓球などの国際試合が日本で開かれるときに韓国代表は在日のヤクザに財政的に支援を受けた、これらの過程を経て韓国政府から韓国国内への風俗店、賭場、ホテル業への進出が認められたという。

2011年に韓国の月刊誌『月刊朝鮮』は在日韓国人のヤクザである極東会会長・松山眞一を取材している[44]。自身の生い立ちや日韓両国の政治家、在日韓国人の有名人との親交、在日本大韓民国民団との関わりなどについて語っている。

2020年現在、指定暴力団に指定されている24団体のうち在日韓国人・朝鮮人が代表に就いたことがある団体は過去も含めると10団体である。

構成員、準構成員、密接交際者であることのデメリット

2000年代に各都道府県や市町村で暴力団排除条例が施行されると、条例の目的に沿って各種事業者は、契約を結ぶ相手方との間で暴力団関係者か否かについて口頭または書面で確認しなければならなくなった[45]。確認の際に暴力団関係者であることを名乗ると、約款を根拠に契約拒否されるか脅迫罪で逮捕される可能性が、また暴力団関係者でないと偽ると、契約が解除されたり詐欺罪で逮捕されたりすることとなる。このため暴力団排除条例が設立されて以降、暴力団を離脱してから5年が経過しない者や暴力団関係者、密接交際者とその家族は各種行政サービス(地方自治体が運営する公営住宅への入居または同居、生活保護児童扶養手当の受給)が受けられなくなったほか、ライフラインである都市ガス[46]スーパー等のポイントカード[47]、クレジットカードの入会[48]銀行口座の開設(既存口座の維持[49])、不動産の購入・賃貸契約[50]自動車購入の契約[51]ホテルへの宿泊[52]携帯電話の購入[53]ゴルフ場でのプレー[54]などができなくなるなど日常生活に大きな制限が掛けられることとなった。溝口敦は「情けないのはヤクザの側ともいえる。法的に突っ込みどころのある暴排条例に反論するような理論武装ができなくなっている」と事実上皮肉を込めて発言している[55]
構成員からの離脱

構成員が暴力団を辞めても暴排条例の規制が5年間は続き、その間は元構成員は就業できないという状態となるケースも多く、辞めたくても辞めることができない構成員も存在する。辞める意向を示す組員に対し支援する動きや支援制度を設けようとする動きも見られるが、一般人には困窮する元組員に対し「自業自得」とみる向きも多い上、支援制度が暴力団に利用される恐れも多く進展していない。警察などの支援で離脱した元構成員は、2006年?2015年の間で約6,120人。一方で、支援を受けて就労に至ったのは147人と約2%にとどまっている。「生活保護を受けたい」などと働く意欲のない者も多く、昔の仲間との関係が切れなかったり、無職のまま金に困って出戻りする例も少なくない[56]

暴力団離脱者の更生を促す目的で、暴力団追放運動推進都民センターが、離脱者の就労証明書を発行して金融機関口座開設を働きかける取り組みを行っているが、偽装離脱している恐れがあることと、口座が犯罪や不正使用目的に使われる恐れがあることから、金融機関側は消極的である[57]。2023年にはこれに関連し、暴力団を離脱後5年以上経過しているにもかかわらず口座開設を拒否されたとして、元組員の男性がみずほ銀行を相手取り、10万円の損害賠償を求め水戸簡易裁判所に提訴している(その後水戸地方裁判所に移送)。原告の代理人弁護士は、口座開設の拒否が、社会復帰を妨げる不当な差別であると主張している[58]
暴力団の取り扱い

この節の加筆が望まれています。

警察は「過去とは違い、昨今の暴力団は悪辣な犯罪を組織的に敢行している犯罪組織そのもの」ととらえ、壊滅を目標に掲げている[59]

また、「仁侠の徒として賛美する者は論外」[59]として、暴力団を取り上げた娯楽作品制作に度々横槍を入れている。代表的な例は、1973年に公開された映画『山口組三代目』である。この時は、製作後に家宅捜索に踏み切り、プロデューサーを22件もの容疑で逮捕するなどの行動に出た。


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