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イスラム圏の国々ではヒジュラ暦に基づいて行事や祭礼が行われるが、特にラマダーンの開始は目視による新月の観測から求められるため、実際には日取りがずれることが珍しくない[74][75]
提案されている暦法

現在世界の大部分で使用されているグレゴリオ暦は精度が高いものの、1ヶ月の日数が一定でないことや、1ヶ月が7の倍数でないためとのかみ合わせが悪く日付と曜日が一致しないこと、そしてキリスト教色が強すぎるといった問題点が存在するため、それを改善するための改暦案が数多く提案されてきた[76]。1793年にはフランスの国民公会フランス革命暦を制定し、グレゴリオ暦からの脱却を図ったものの、週の廃止や時制の十進法への変更などといった急進的すぎる改革は大きな混乱を生み、1806年にはナポレオンによって廃止された[77]。フランス革命暦の失敗後、1か月を28日で固定し1年を13か月とするオーギュスト・コントの実証暦(英語版)や国際固定暦のような13の月の暦、また暦日と曜日が固定できる世界暦といったさまざまな改暦案が提唱されたものの、実現せずに終わった[78]。2012年には閏週の挿入によって曜日と日付を固定させるハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダーが提唱されたものの、採用の見込みはほぼ存在しないと見なされている[79]
実用品としての暦インドネシアのカレンダー

この場合、暦とはいわずカレンダーということが多い (詳しくはカレンダーの項を参照)。主に予定管理などに使われる。形式は日めくり、月めくりなど様々なものがあり、月めくりのカレンダーの場合だけでも月曜始まりと日曜始まりの2種類がある(稀に土曜始まりもある)。そのほかにも、1日1日が分離されていてパズルのように組み立ててカレンダーにする、というものもある。

カレンダーの始まりは年初である1月であるものが多いが、日本の学校や会社などでは年度の始まりである4月を先頭とするカレンダーも存在する[80]。カレンダーは印刷業者や出版業者によって生産され、おもに翌年に備えて年末に購入されることが多い[81]。また、日本では宣伝などのために一般企業が生産業者に社名入りのカレンダーの制作を依頼し、粗品として配布されることも多い[81]。カレンダーが各種企業や団体からの依頼で受注生産されることは世界でもほぼ共通で、宗教団体や公的機関、民間団体、企業といったさまざまな団体名義のカレンダーが世界中で発行されているほか、商品として販売されるものが存在することも同様である[82]

日本では大宝元年(701年)に陰陽寮が設置され、そこに置かれた暦博士が暦を制作し、御暦奏の後に官庁へと頒暦していた。ここで制作された暦は吉凶判断のための様々な暦注が漢文で記されたいわゆる具注暦だったが、平安時代後期には簡略化され仮名文字で書かれた仮名暦も広く発行されるようになり、また暦道幸徳井家家職化された[83]。一方、鎌倉時代になると暦の需要が高まって具注暦や仮名暦の筆写では供給が追いつかなくなり、木版印刷による摺暦の生産が始まった。摺暦は伊豆国三島で始まったと考えられており、三島暦をはじめとして京暦や大宮暦など日本各地で盛んに発行されるようになった[84]。こうした暦は地方暦と総称される。江戸時代に入ると御師の手によって伊勢神宮信仰が全国に広まるが、彼らが御札を配布する際に土産として伊勢暦を配布したことから、伊勢暦が暦の代名詞となるまでに普及した[85]が、各地方でも特色ある暦が作成・配布され続けた。なかには非識字者を対象に文字を使わず絵や記号で暦を表示した、南部絵暦に代表される盲暦[86]大の月小の月の順番のみを記し贈答品として流行した大小暦といった暦が作られたのもこの頃のことである[87]

明治時代に入ると、従来の頒暦者たちを統合して明治5年に頒暦商社が設立されたが、同年にグレゴリオ暦への改暦が行われたため、すでに翌年分の旧暦で暦を作成していた頒暦商社は大損害を受けた。この救済として商社には10年間の専売権が与えられたが、新暦では従来の暦に記載されていた暦注の記載が禁じられたため使い勝手が非常に悪く、商社の専売権が終了した明治15年頃からは暦注を記載した違法のお化け暦が盛んに発行されるようになった。また明治16年からは神宮司庁により神宮暦の発行がはじまった[88]
文化

中国の歴代王朝においては、天象を把握して正確な暦を策定し施行することは観象授時と呼ばれ、王朝の責務とされていた。このため、暦は強い政治性を持つようになり、王朝や支配者が交代した際にはしばしば改暦が行なわれた[89]。また臣下や支配地域では王朝の定めた暦を施行することが義務づけられた。このため、暦を受けいれることを意味する「正朔を奉ずる」という言葉が、そのまま王朝の統治に服することを意味するようになった[90]。この暦の使用は冊封体制下にある全ての国家でも義務づけられ、独自の暦を作成・使用することは禁じられていた[91]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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