暦法(れきほう)とは、毎年の暦を作成するための方法を指す。暦は、天体の運行に基づいて確立される。主として太陽と月が用いられ、月の運行に基づいた暦を太陰暦、月と太陽の運行に基づいた暦を太陰太陽暦、太陽の運行に基づいた暦を太陽暦という。 以下に暦法の概要として表を示す。
概要
英: luni-solar
calendar
など
閏年355日[9]383日/384日[10]
366日[注釈 4]
371日[注釈 5]
など 古代オリエント(古代エジプトは除く)では、太陰暦を採用しており、シュメール人のウルク王朝の都市国家(前3500?前3100年頃)もアッカド王国のウル王朝(前2500?前2100年頃)も古代バビロニア王国のバビロン第1王朝(前2000?前1500年頃)の時代も、目測で観測できる月の満ち欠けに基づいて暦を決めていた。通常は、新月(三日月)から始めて次の新月までを1ヶ月としていた。その以前からも太陰歴は使用されたという説もある。 また、暦に関連して、シュメールのウルク王朝時代から、既に60進法が用いられており、これが12時間、60分、60秒の単位として、現在に至るまで受け継がれている。 また、「19太陽年≒235朔望月」とする法則は、西欧では「前432年にギリシアの天文学者メトンによって発見された」と信じられていたので、「メトン周期」と呼ばれるが、実際の発見は、おそらく前8世紀半ばのバビロニアで、メトンはこれを西方に導入したものと考えられる。 ヒジュラ暦採用前のアラビア半島では、ユダヤ暦に学んだ太陰太陽暦を用いており、メトン周期として知られる19年7閏法(19太陽年(228ヶ月)の間に、7回、閏月を置閏し、19太陽年とほぼ等しい長さの235朔望月にする方法)に基づき、第13番目の閏月が3年に一度ほど挿入されていた。
1年当たりの月数平年12暦月
(固定)
[9][注釈 6]12暦月[10](多種多様)
[注釈 7]
閏年13暦月[10]
(閏月込み)
太陰暦の暦法
古代オリエントの暦法
ヒジュラ暦の暦法