時代劇
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この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている[注釈 79]

そして1963年4月から、NHKが現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる大河ドラマの放送を開始した。その第1作『花の生涯』は井伊大老役に歌舞伎界から尾上松緑、長野主膳役に映画界から佐田啓二中井貴一の父)を起用し、2作目の『赤穂浪士』には映画界から長谷川一夫、民芸から滝沢修宇野重吉、歌舞伎界から尾上梅幸など当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。3作目は『太閤記』で新国劇から緒形拳が主演、文学座から高橋幸治、俳優座から佐藤慶など若い人材が出演して、4作目が『源義経』で歌舞伎界から尾上菊之助(現尾上菊五郎)が主演。毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている[注釈 80]

その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『三匹の侍[注釈 81]新選組血風録[注釈 82]素浪人月影兵庫[注釈 83]銭形平次[注釈 84]水戸黄門[注釈 85]大岡越前[注釈 86]遠山の金さん[注釈 87]木枯らし紋次郎[注釈 88]必殺仕掛人』『必殺仕置人』『必殺仕事人』『子連れ狼』『影の軍団』『鬼平犯科帳』などのシリーズを生んだ。

時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)に東映京都テレビプロダクションを設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『銭形平次』、片岡千恵蔵『軍兵衛目安箱』、市川右太衛門『旗本退屈男』、萬屋錦之介『子連れ狼』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった[73]。また、三船敏郎『荒野の素浪人』、勝新太郎『座頭市物語』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『大江戸捜査網』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。

そして東映時代劇で育った松方弘樹は1965年にNHK時代劇『人形佐七捕物帳』でテレビに出演し、北大路欣也は1968年に大河ドラマ『竜馬がゆく』で主役に抜擢され、里見浩太朗は1971年に『水戸黄門』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保し、1973年からは竹脇無我西郷輝彦里見浩太朗などが主演のTBSナショナル劇場の『江戸を斬る』が始まった。また日活の現代劇で育った高橋英樹は大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『文五捕物絵図』で時代劇にデビューした杉良太郎、1978年にテレビ朝日『暴れん坊将軍』から人気俳優となった松平健などテレビから時代劇スターが生まれていった。
1980年代から1990年代

1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にも及び、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。そして長期シリーズであった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了によって、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになったものの[74]、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『忠臣蔵』、翌1986年(昭和61年)の『白虎隊』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『女ねずみ小僧』『鬼平犯科帳』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設の時代村のように時代劇制作ノウハウが取り入れられたテーマパークも建設された。

しかしバブル崩壊を迎え、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった[75]

1990年代トレンディドラマの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層の視聴率が時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および大道具小道具等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと[注釈 89]、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、勧善懲悪の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した[注釈 90]
2000年代以降の状況

新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については#主なテレビ時代劇放送枠の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『水戸黄門』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。

地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『逃亡者おりん2』が終了すると、2012年10月にTBS系の『金曜ドラマ大奥?誕生[有功・家光篇]』が放送されるまでの半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた[76][注釈 91]。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、月9枠で初の時代劇作品『信長協奏曲』を放送し、2016年には映画化された[77]。地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『石川五右衛門』を放送したのが最後である。また、2010年代中盤以降はHuluNetflixに代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、過去作品の配信は少なく、サイトオリジナルの時代劇は現時点で制作されていない。

一方、衛星放送では、1997年に、東映の岡田茂とC.A.L加地隆雄を中心に「時代劇コンテンツ推進協議会」が立ち上がり、時代劇専門チャンネルでの放送などで時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、スカパー!で日本映画衛星放送(現・日本映画放送)と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』を放送、これが好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『鬼平外伝 熊五郎の顔』を放映した。


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