時の記念日
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この「時」展覧会の期間中に主催者間で提案されたのが「時の記念日」であり、『日本書紀』にある天智天皇10年(671年)年6月10日に日本で初めて時計(「漏刻」と呼ばれる水時計)による時の知らせが行われたとされる故事からこの日となった[1][2][3][4]

時の記念日の制定には、当時欧米の先進国から「日本人は時間の感覚に乏しい」とみられていたことから、時間に関心を持ち、規律正しく効率的な生活を習慣化する啓発の意味があったといわれている[4]
由来

『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日グレゴリオ暦671年6月10日))に[2][3]、「置漏尅於新臺[1]。始打候時動鐘鼓[1]。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也[6]。云々。」

(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。 ? 訳:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本古典文学大系68 日本書紀 下』 岩波書店

とあり、日本初の時計を打った日が6月10日であることからこの日となった。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」は水時計のことである。また、下記脚注のとおり、斉明天皇6年の条にも「漏尅」創設の記述があるが、天智天皇10年の記述との関係は不明である。前者には日付がないので、後者の日付が採用されたものと考えられている。
歴史

最初の時の記念日は1920年(大正9年)6月10日であった[2][3][4]。当日、東京では日本女子商業学校淑徳女学校東洋高等女学校千代田高等女学校東京家政女学校芝中学校の生徒、深川小学校夫人同窓会および東京少年団団員により、銀座日本橋日比谷上野浅草など10か所でビラ5万枚が配布された[4]。また、東京天文台の河合章二郎技師などの指導の下、天文台から標準時計(クロノメーター)を運び出して、時計愛好家として知られていた坂東彦三郎 (6代目)の自家用車に載せて都内各所の時計の正確性を調べるほか、浅草、上野、須田町、日本橋、銀座の5か所に正しい時刻の時計を置いて、通行人に時計を合わせるよう促した(深川小学校婦人同窓会会員、芝中学校生徒、東京少年団団員が参加)[4]。正午には東京全市に大砲の砲声が鳴り、ニコライ堂の鐘など各所で正午の時報が鳴らされた[4]

1921年(大正10年)以降、20年以上にわたり同会を中心に全国各地で記念行事が行われ、外地台湾朝鮮京城大連などでも関連行事が実施された。

戦後は、時計の業界団体をはじめ各種の民間団体が関連行事を行っている。

1960年(昭和35年)6月10日には明石市立天文科学館が開館した[2][4]
行事

近江神宮滋賀県大津市)漏刻祭[4]

掛川城御殿(静岡県掛川市)太鼓打ち鳴らし式(1957年から実施)[4][7]

明石市立天文科学館(兵庫県明石市)子午線通過記念証配布(1964年から実施。2020年[2]2021年[8]新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴いオンラインイベントのみ開催)[4]

脚注[脚注の使い方]^ a b c d e なら記紀・万葉 ドラマ日本書紀II 事始のものがたり 第2話?時計のはじまり? - 奈良県


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