昭和
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大正の後、平成の前。大化以降230番目、246個目[注 1]元号である。昭和天皇の在位期間[注 2] である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで[注 3]

日本史の時代区分上では、元号が昭和であった期間を昭和時代(しょうわじだい)といい、グレゴリオ暦西暦)において20世紀の大半を占める。本項ではこの時代についても記述する。
概説


昭和天皇香淳皇后

大正天皇崩御に伴い、皇太子裕仁親王が皇位を継承し、即日「昭和」と改元された。昭和天皇(裕仁親王)の崩御に伴い、皇太子明仁親王(現上皇)が皇位を継承し、「平成」と改元されることとなって幕を閉じた。

最も長く続いた日本の元号で64年を数えるが、「元年」と「64年」は共に7日間しか使用されなかったため実際の期間は62年と14日となる。外国のものを含めても最長の元号であり、歴史上60年以上を数えた元号は、昭和の他には、康熙(61年)と乾隆(60年)しかない。

最長の元号である上、この期間は第二次世界大戦太平洋戦争)が終結した1945年(昭和20年)9月2日終戦記念日の同年8月15日を境に、それ以前の約19年間は戦前(および戦中)、以後の43年余は戦後と、社会の価値観・諸制度や政治体制が大きく異なる時代に分かれ、世界史上の時代区分もそれぞれ近代現代と別になっており、一体的に捉えることは難しい。
改元『書経』堯典

百姓昭明、協和万邦
→.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}百姓(ひゃくせい)昭明(せうめい)にして、万邦(ばんぱう)を協和(けふわ)す.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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昭和は登極令皇室令の一部)による制度での最後の元号であり、1979年(昭和54年)の元号法制定の際、同法附則第2項により、「本則第1項の規定に基づき定められたもの」とされた[注 4]

「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和万邦」(百姓昭明にして、万邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。「昭和」が元号の候補になったのはこれが最初である[1]。なお、江戸時代に全く同一の出典で「明和」(1764年?1772年)の元号が制定されている(「百姓昭明、協和万邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。

当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省(現:宮内庁)作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。
開始.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに昭和ト改元の原文があります。

1926年大正15年)12月25日大正天皇崩御し、同日に皇太子摂政宮)裕仁親王の践祚を受けて直ちに改元詔書が公布されて昭和に即日改元し、1926年の最後の1週間だけが昭和元年となった(西暦の1926年12月25日は、大正15年であり昭和元年でもある[注 5])。なお、この際に東京日日新聞が「新元号は光文」と誤報した(光文事件)。

昭和改元の詔書(1926年〔大正15年〕12月25日).mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}朕󠄂皇祖󠄁皇宗ノ威靈ニョリ大統ヲ承ケ萬機ヲ總フ茲ニ定制ニ遵󠄁ヒ元號ヲ建󠄁テ大正十五年十二月󠄁二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト爲ス(以下略)
終了ウィキソースに元号を改める政令の原文があります。

1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。詳細は「昭和天皇崩御」を参照

これに伴い1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法及び皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の定めるところにより明仁親王(昭和天皇第1皇男子)が皇位を継承し、第125代天皇となった。そのため、1979年(昭和54年)に施行された「元号法(昭和54年法律第43号)」の規定に基き「元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)」が7日中に公布・翌8日に施行されて、平成と改元した。(戦後初の改元)

元号を改める政令(1989年〔昭和64年〕1月7日)内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

元号を平成に改める。

附則この政令は、公布の日の翌日から施行する。
第一次世界大戦後

急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。

日本は国内的には立憲君主制の体裁を取り、当初の藩閥政治を脱して1920年代には政党が内閣を構成するようになり、大正デモクラシーの風潮を受け継ぐ形での政党政治が行われた。

しかし、政党政治がその一面で見せた腐敗は相次ぐ不況下で困窮する国民の不信と怒りを買い、大陸侵略による事態の打開と国家改造を志向する勢力の台頭を招く。1920年代末から独立性を強めた軍部は、1930年(昭和5年)以降は政府の意思に反した軍事活動や戦闘を多数引き起こし、相次ぐ軍事クーデターにより、ついには政党政治を葬り去った。
金融恐慌

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