人口は約23万人で、さいたま市、川口市、川越市、所沢市、越谷市、草加市、上尾市に次ぐ県内8位。 当地を起源とする鎌倉時代の武家・春日部氏にちなんで、現在の表記に改められた。ただし、春日部という地名自体は、春日部氏登場以前から存在した(春日山田皇女を参照)。江戸時代は日光街道の宿場町(粕壁宿)であった。1944年に南埼玉郡内牧村と町村合併する以前は粕壁町と表記していた。現在でも市内には市名と同音異字の粕壁という名称の地域がある[1]。
概要
都市名の表記
地勢春日部市中心部周辺の空中写真。市街地の北から南東方向へ大落古利根川が流れる。
1990年撮影の7枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
市域の中央部は中川低地(東京低地)と呼ばれる低地に属し平坦であるが、市内各所に台地を有している。北東部の西宝珠花に宝珠花台地、南東部の南桜井駅付近などに金杉台地、南西部にある豊春駅付近の花積地区に花積台地、北西部の北春日部駅西側の内牧地区に内牧台地が存在する。なお、春日部市は下総台地(西宝珠花と金杉は江戸川によって下総台地から切り離された)と大宮台地(内牧台地と花積台地は大宮台地に属する)という2つの台地が、同一自治体内に存在する唯一の例となる。台地部分には遺跡が多く所在し、代表的な遺跡として内牧地区には内牧塚内古墳群、粕壁地区には浜川戸遺跡(奈良時代後期から鎌倉時代)、豊春地区には花積貝塚、宝珠花台地には神明貝塚、金杉台地には米島貝塚などが所在する。特に縄文時代の遺跡は貝塚が多く、縄文海進を検証する好地域である。また倉常地区は、中川低地内に位置するが、近年、須釜遺跡という弥生時代の遺跡が発見され、弥生時代ごろから人々が生活できる地域であったことが立証されている。地勢的に旧春日部市東部や旧庄和町地区は田園地帯、とりわけ低地と河川が多くあり、埼玉県東部地区で一大の米穀の生産地である。
埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と東武野田線(東武アーバンパークライン)が交差する交通の要衝である。また、大落古利根川沿いの小淵砂丘は、埼玉県の旧利根川流路沿いに多く存在する河畔砂丘(中川低地の河畔砂丘群)の代表的なものである。市内では、小淵砂丘のほかに浜川戸砂丘、藤塚砂丘が確認されている。
2008年4月1日をもって特例市へ移行した。
春日部市西部花積台地の崖線。春日部市にはこのような台地状地形が点在する。
春日部市西部花積台地の坂。岩槻区にほど近い。
河川
豊春用水
古隅田川旧川
旧古隅田川(上豊川)
山城堀(古隅田川の源流)