1932年(昭和7年)からは大阪高島屋百貨店でも観光行事として展覧会開催で宣伝され、観光行事の色彩が大きくなる[12]。1930年(昭和5年)に、満州事変が起こり昭和12年に日中戦争になると武運長久の幟や旗がお渡りに掲げられ戦時色が強くなり、昭和16年に太平洋戦争で以後徐々に縮小された[13]。
現代
1945年(昭和20年)、敗戦。同年にGHQから発せられた神道指令などによって、翌1946年(昭和20年)から奈良市をはじめとする行政の援助は停止した。奈良市の観光事業者の谷井友三郎は占領軍奈良機関と交渉し、自分の私費拠出を認めさせて1946年(昭和21年)開催し継続させた。祭祀は春日大社、お渡りと後宴能は奈良市文化協会開催と分離し以後も続く。翌1947年も谷井が10万円を拠出して開催。その翌23年にはおん祭り特別興業を開催し収益14万円を寄付し開催。1949年からは谷井が尽力し奈良市観光協会を結成して、奉賛会、奈良県商工会議所と連携して開催。1979年(昭和54年)におん祭りの芸能が「春日若宮おん祭の神事芸能」として重要無形民俗文化財に指定された[14]。これをきっかけに、1980年(昭和55年)春日若宮おん祭り保存会が保持団体として結成され現代も継続中である[15]。 12月15日に大宿所にて行われる、おん祭を中心的に進行する大和士(やまとざむらい)らの身を清める祭。現代は奉仕者と参拝者の健康と祭りの無事を祈る。大宿所は近鉄奈良駅南の奈良もちいどの商店街 宵宮祭は16日、若宮神社の神前に御戸開(みとびらき)の神饌を捧げて祭の無事を祈る行事。宵宮祭に先立ち、大和士が流鏑馬児を伴って若宮神社の神前に御幣を捧げて拝礼を行うのが宵宮詣である。 17日午前0時より始まる、若宮を若宮神社本殿からお旅所のお仮殿へ遷す儀式。若宮の神霊は榊を持った神職が十重二十重に守りお囲みして遷す。この遷幸の間は奉仕者が絶え間なく「ヲーヲーヲー」と先払いの警蹕の声を上げながら進む。また奉仕者に囲まれた若宮に先立ち、松明やお香を持った人が進み若宮の渡りになる道を清める。楽人は道楽の慶雲楽 遷幸の儀のあと、午前1時頃からお旅所で行われる祭。若宮に朝の食事が供えられる。 12月17日正午より始まる、お旅所祭で芸能を奉納する芸能者および祭礼に関わる一行が奈良公園周辺を練り歩く行事。古来、行列は興福寺を出発していたが、現在では奈良県庁前から登大路を西に下り、近鉄奈良駅前、油坂を経由して、JR奈良駅 お渡り式の順序は次の通り。 12月17日午後0時50分頃に南大門交名の儀が開始され、これは、おん祭りの祭礼の元の主催者の興福寺への敬意を表し[18]、出席する芸能者を確認する儀式である。旧南大門跡の明治時代に付けられた階段で行われている[19]。 お渡り式の後に、12月17日午後1時頃から影向の松の前の儀式となる。細男(せいのお)・田楽・猿楽が芸能の一節や、所定の舞を芸能を披露する、松の下式(まつのしたしき)と呼ばれる儀式が執り行われる[18]。 特に猿楽は弓矢立合を演じるが、古くは金春流・金剛流は弓矢立合、宝生流は船立合を演じる事が定められていた[20]。 中世には、開かれた場所での貴人・権力者が見物の民衆に威勢を示す場でもあり馬乗り込みや槍などの行列もされた[21]。 この松の下を通りお旅所へ参入すると、十列児(とおつらのちご)は馬より降り、装束の長い裾を曳きつつ馬を曳き芝舞台を三度廻り、馬長児(ばちょうのちご)は馬上のまま三度舞台を廻って退出する[18]。この時、ひで笠に付けた小さな五色の紙垂を、大童子(だいどうじ)が神前へ投ずる[18]。 金春太夫 その後、興福寺ゆかりの宝蔵院流槍術家元による型奉納なども、影向の松の下で行われる[18]。 お渡り式が御旅所に入り拝礼の儀式を行う中、参道で2馬を走らせる競馬を若宮に奉納する。 続いて、3人の稚児流鏑馬役の少年が、赤の水干にツヅラフジで編んだ網代笠の葛笠(つづらがさ)をかぶり、箙(えびら)を背負って弓で先頭に揚児(あげのちご)が、次に射手児(いてのちご)2人が、参道の的3つを「謹上再拝」と神を拝礼しつつ唱えながらそれぞれ射る[22]。 17日午後2時半頃から夜遅くまで行われる、若宮に芸能を奉納するおん祭の中心となる神事。お旅所は一の鳥居と二の鳥居の間、春日大社参道沿いの奈良国立博物館の南側に設置される。お渡り式の行列がお旅所に到着した後、南面して設置されたお仮殿の南に作られた芝舞台で、社伝神楽や東遊、田楽や細男(せいのお)、三方楽所南都方の伝統を受け継ぐ南都楽所
行事
大宿所祭(おおしゅくしょさい)
宵宮祭・宵宮詣(よいみやさい・よいみやもうで)
遷幸の儀(せんこうのぎ)
暁祭(あかつきさい)
お渡り式影向の松の下を通過する野太刀
鼓笛隊とブラスバンドが先行。
お渡り式に先立って先頭に藤の紋所で紅白の幟(のぼり)が立つ。
「梅白枝(うめのずばえ)」と「祝御幣(いわいのごへい)」:赤衣(あかえ)に千早(ちはや)という長い白布を肩から地面に垂らしている。
「十列児(とおつらのちご)」:巻纓冠(けんえいかん)に造花の桜を挿し、青摺りの袍(わたいれ)を着た騎馬の少年。
第一番 日使(ひのつかい) 第二番 神子(みこ) 第三番 細男
南大門交名の儀
松の下式
競馬(けいば)
稚児流鏑馬
御旅所祭(おたびしょさい)日没後、お仮殿前の芝舞台で奉納される舞
御旅所祭で奉納される芸能は以下のとおり。神楽(かぐら) 東遊(あずまあそび) 田楽(でんがく) 細男(せいのお) 神楽式(かぐらしき) 和舞(やまとまい) 舞楽(ぶがく)