春日局
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家光死後の貞享3年(1686年)に成立した『春日局略譜』によれば、徳川秀忠・夫妻が竹千代の実弟・国松(徳川忠長)を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌め、元和元年(1615年)、駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴したとされる。この直訴はその時は失敗し、後に家康が江戸城を訪れた時にその江の溺愛ぶりを見て考え直した、という説もある[8][9]


幼少の家光の疱瘡平癒を祈願して、自らは以降一切の薬断ちをしたという。最晩年に病臥した際も治療を頑なに断ったため、彼女の身を案じた家光により、薬と共に柳営御物(徳川将軍家所蔵の名物茶道具類)の中でも最高級の品である曜変天目茶碗を下賜され、将軍自ら服薬させたという。春日局はこれに感涙したものの、口に含んだ薬を密かに袖下へ吐き戻したとされる。この時賜った曜変天目茶碗(稲葉天目)は、彼女の死後子孫である淀藩稲葉家に代々伝わり、現在は国宝として静嘉堂文庫に所蔵されている。


徳川実紀』には春日局の人物評として「この局が忠節のことども。よに伝ふること多けれども。まことしからぬことのみ多く伝へて。益なきに似たり」とある。


江との対立として伝えられる事件としては、江に対抗意識を燃やして家康に訴えたことや、そのために駿府まで走っていったことは江戸時代の創作であると考えるのが近年では通説である。同様に、夫の浮気に怒って相手を殺して家を飛び出したこと、後水尾天皇に譲位を迫った(実際は譲位をしないように働きかけたのだが、さほど身分も高くない春日局がでしゃばったことに天皇が怒り、譲位を強行した)ことも創作であるとされる[1]


狩野探幽筆の肖像画が麟祥院に所蔵されている。


2012年、西本願寺で春日局の直筆の手紙が見つかる。自分の奉公人の母が西本願寺にいると知り、自ら筆を執り良如に「(部下を)母親に会わせ、西本願寺で奉公させてもらえたら大変ありがたい」と頼んでいる。彼女の優しさや母性が垣間見える貴重な史料とされている[10]


老中井上正就の嫡子の正利の縁談に春日局が介入し、結果、恨みを持った人物[注釈 3]により正就は江戸城内で殺害された。江戸城内における刃傷事件の初例の原因は、春日局の権勢による圧力の結果である[注釈 4]

異説

将軍家の乳母に登用された経緯には、京都所司代板倉勝重が一般公募した話などが伝えられる。あるいは、秀忠の正室・江の侍女である民部卿局の仲介で乳母となったともされる。また、家康の手が付いていたという見方もある。乳母に過ぎない身分の者[注釈 5]が将軍世継ぎ問題で家康に直訴したとしても、通常家康が会うとは考えにくいとして、お福がかつて愛妾の一人であったとする説もあるが、定かではない。映画『女帝 春日局』(1990年)はこの異説で描かれている。

春日局は通説では徳川家光の乳母であるが、小説家の八切止夫は春日局が家光の生母という説を立てている。江戸城で徳川将軍家の蔵書を保管した紅葉山文庫に伝来する『松のさかえ』のなかの「東照宮御文の写し」の末尾に、「秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局 三世将軍家光公也、」とある[11]。歴史学者の福田千鶴も、家光の姉である初姫の実際の誕生を慶長8年7月とした上で、正室・江がちょうど1年後に家光を生むのは不可能ではないが当時の医学では厳しいとして家光の生母を江以外の秀忠の妻妾と推定し、状況的に春日局しかいないと推定する[12]

縁故により出世した人たち

春日局が参内できるよう画策した三条西実条は、後に朝廷から
武家伝奏に任じられ、最終的には右大臣になった。子孫の玄長は、幕府に高家肝煎として迎えられた。その際、縁のあった武家名字「前田」を名乗った。

春日局が強く望んで大奥入りさせられたお万の方は、三条西家の同僚の和歌の家である六条家の娘である。後に彼女の弟・氏豊も幕府から高家として迎えられ、その際にこちらも縁のあった武家名字「戸田」を名乗った。

離縁した稲葉家の再興にも尽力し、浪人していた元夫の稲葉正成は松平忠昌の家老として召し出され、のち大名に取り立てられた。家光の小姓から老中に出世した者は多いが、その中には春日局の縁者も多い。特に実子である稲葉正勝と義理の孫に当たる堀田正盛が著名である。

姪・祖心尼とその夫・町野幸和蒲生氏改易に伴い浪人した際には、祖心尼を自分の補佐として出仕させ、また祖心尼の外孫・お振を大奥に入れた。お振は家光の側室となり千代姫を産んでいる。幸和も幕府直参旗本として取り立てられた。

海北友雪:海北友雪の父・友松は春日局の父・斎藤利三が山崎の戦いで敗死すると、利三一家を厚く庇護したことがあった。そのことより春日局の推挙で徳川家光に召し出され、その御用を仰せ付けられた。

斎藤利宗:春日局の実兄。明智家滅亡後は、加藤清正に仕えていたが、後に徳川家光に5千石の旗本として、取り立てられた。

関連作品
小説


春日局(
堀和久・著)

春日局(杉本苑子・著)

徳川の夫人たち(吉屋信子・著)

火宅の女 ?春日局?(平岩弓枝・著)

小説 春日局(北原亞以子・著)

江戸の鼓 ?春日局の生涯?(澤田ふじ子・著)

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