映画
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草創期の映画は単に事実を記録した映像に過ぎなかったが、それでも新奇さから各地の見世物で大当たりを取り、映画館が相次いで各地に設立された[7]20世紀に入るとストーリーを持つ映画の制作が始まり、盛んに映画作品が作られるようになった[8]

映画表現において大きな画期となったのは、1920年代の「トーキー」の登場、それに続いて行われたいわゆる「総天然色」映画の登場が数えられよう。これらはそれぞれ、それまでの映画の形式を最終的には駆逐するにいたった。例えば、今では「トーキー」以前の形式である「サイレント」が新たに発表されることはほぼない。また、今「モノクローム」で撮影された映画が発表されることは極めてまれである。

20世紀前半に行われたこれらの映画技術の進展とは異なり、20世紀後半の映画技術の発展は映画表現の多様性を増す方向に作用した。

戦後、普及した映画の撮影技法には、例えば「特殊撮影」「アニメーション」「コンピュータ・グラフィクス」が挙げられる。これらの新たな撮影技法は、それ以前の方法を駆逐することによって普及したのではなく、それが登場する以前の撮影技法と共存しつつ独自の分野を成す形でそれぞれの発展を遂げている。

1970年代からはVTRが普及したが、フィルムとビデオとの基本的な表示方式の違いから映画は35mmフィルムによる撮影が一般的であった。21世紀に入った頃から商業作品もデジタルビデオカメラで撮影され、フィルムを使わずコンピュータ上で編集される例が増加している。詳しくはデジタルシネマを参照。

1990年代以降はコンピューターを使って画像を生成したコンピューターグラフィックス通称CGが大々的に使われるようになる。
分類・種類

映画には、技術的な側面に着目した分類、観客に映画作品を届ける経路やビジネスモデルによる分類、コンテンツ(作品内容)による分類などさまざまな分類法がある。「映画のジャンル」も参照
劇場公開用映画 / テレビ映画 / ビデオ映画

映画は、もともと映画館など専用の上映施設で上映されるものとして発達してきた。ビジネスモデルとしては、映画作品を制作する会社やそれを配給する会社は、映画館に対して映画作品のフィルムを一定期間貸し出し、貸すことに対する料金を得る(収益を得る)、というしくみであり、映画館のほうは、配給会社に料金を支払う形の契約で、限られた日数だけフィルムを借り、多数の観客が入場に必要なチケットを購入してくれることで収入を得る、配給会社に支払うお金と観客から得るお金の差額が「粗利」となり、ひとたびフィルムを借りたら、なるべく多くの観客に見てもらう、多数回上演し多数の観客に入ってもらうことで利益を大きくしようとする、というしくみであった。映画の制作会社で作られた映画作品のフィルムは、映画の配給会社によって、元のフィルムから複製が多数制作され、各コピーの個体ごとの貸し出し計画が立てられた。複製されたフィルムの個体ひとつひとつは、映画館から映画館へと線的に移動してゆくことになっており、最初は都市部の大きな映画館に高額で貸され、そこでの上映期間が終わると、次第に低額で地方都市や小さな町の映画館へと貸し出されてゆくようなスケジュールが、他の映画作品の上映計画との兼ね合いや、各映画館で「穴」があかないようにすることや、各映画館での利益も考慮し緻密に組まれた。こうしたスケジュールの体系は「番線」と呼ばれた。現在でも劇場で公開する映画は映画の基本であり本流であるが、そうではない映画も増えてきたので、劇場で公開する映画をレトロニムで「劇場公開作品」「劇場公開映画」などと呼ぶことも行われている。

その後、各国で1940年代や1950年代になってテレビ放送が始まるようになり、テレビ所有者が増大する中で、すでに劇場公開が行われた映画作品を、後からテレビの電波に乗せるということも行われるようになった。この場合、ビジネスのしくみとしては、当該の映画作品の諸権利を有する映画会社とテレビ局の間で交渉・契約が行われ、テレビ局のほうから映画会社のほうに対して放送にまつわる対価(料金)が支払われることになる。やがて、数としては比較的少ないが、最初からテレビで放送することを目的に映画フィルムで撮影される映画作品が作られるようになった。このような作品は特に「テレビ映画」と分類する方法がある。テレビ会社が映画を制作すると、上述のようなお金の流れ(テレビ局→映画会社)は生じない。テレビ番組を充実させるためにテレビ局が行った策であり、1960年代のアメリカのテレビ番組の中では一種の「主力の番組」として内容としては西部劇や「ホームドラマ」の映画が多く製作された。[注 2]

1970年代後半?1980年代以降に、ベータマックスVHSなどといった規格の比較的安価な家庭用のビデオ装置が先進国の家庭から次第に普及してゆくと、やがてビデオ装置を所有している比較的裕福な家庭をターゲットに、数千円?1万円超という価格設定で映画作品がビデオテープの形でも販売されるようになった。これによって映画(制作)会社が収益を得る方法が増えた(映画館にフィルムを貸す、テレビ局から権利料を得る、以外の選択肢が生まれた)。こうしてビデオテープ化される映画作品の数が次第に増えてゆくと、そうしたビデオテープを貸すレンタルビデオ業者が登場したが、映画会社の収益化の方法が確立されていなかったために、映画作品の「著作権」「貸与権」、テープの使用、上映が認められる範囲の線引きに関連する裁判となり、その結果レンタル業者は、映画会社に対して「正当な対価」を支払うべきだ、といった趣旨の判決が下され、数度の裁判や映画会社とレンタル業者の協会との交渉を経て、やがて「レンタル専用」のテープは一般人向けに販売されるテープよりも あらかじめかなりの高額でレンタル業者に販売されることで映画会社の収益とするしくみや、あるいは映画会社は「貸与権」の一部をレンタル業者に分けるかわりに、レンタル業者はテープが実際にレンタルされた回数を映画会社に報告し、その回数と連動する形で増えてゆく料金をしっかりと支払う、という内容の契約を結ぶ、というしくみが定着していった。こうしてビデオレンタル、という業態が確立すると、最初から劇場公開をせず、ビデオテープとして販売されたりレンタルされる形で視聴されることを想定して撮影される映画、というものも登場するようになった。


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