映画の友
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^ 上述([注 5]参照)したように、『出版年鑑 1987年版』での『映画の友』と『映画の部屋』の関係は改名による発行継続扱いとなっている。一方、同書での『映画の部屋』と『映画ランド』の関係は、改名による発行継続ではなく個別の廃刊と創刊として扱われており、「休・廃刊誌」の項[32]に「映画の部屋、最終号:8月号」[32]および「別冊映画の部屋、最終号:10月号」[32]、「創刊誌」の項[33]に「映画ランド、創刊号:9月号」[33]と書かれている。なおこの『出版年鑑 1987年版』で『映画ランド』の創刊号は「9月号」とされているが、実際に確認できる『映画ランド』の創刊号は1986年の10月号である[34][31]
^ 『映画ランド』創刊号である1986年10月号の編集後記[34]には「やっと新雑誌をご迷惑かけた読者の皆様にお届けでき、ホッとしてます。難産でしたが、『映画の友』からやっと『映画ランド』がうぶ声をあげ (以下略)」[34]とある。この編集後記では『EIGA NO HEYA』(映画の部屋)誌についての言及はない。

出典^ a b c d “映画の友: magazine for world movies 。書誌詳細 。国立国会図書館オンライン”. 国立国会図書館. 2020年5月1日閲覧。(1931年-1940年、1946年-1968年)
^ a b c d “映画之友 。書誌詳細 。国立国会図書館オンライン”. 国立国会図書館. 2020年5月1日閲覧。(1941年-1943年)
^ a b c d “Eiga no tomo 。書誌詳細 。国立国会図書館オンライン”. 国立国会図書館. 2020年5月1日閲覧。(1976年-1986年)
^ a b c d e f g h 鎌野完「アメリカ映画輸入再開と『映画之友』について」『日本古書通信』1999年12月号(通巻845号)、日本古書通信社、1999年12月、17頁。 
^ a b c d e f g h 鎌野完「雑誌『映画世界』について」『日本古書通信』2014年11月号(通巻1024号)、日本古書通信社、2014年11月、22-23頁。 
^ a b 「編輯後記」『映画之友』第18巻第12号、映画世界社、1940年12月、140頁。 
^ a b c d e 「編輯後記」『映画之友』第1巻第1号、映画日本社、1941年1月、132頁。 
^ a b “映画世界 。書誌詳細 。国立国会図書館オンライン”. 国立国会図書館. 2020年7月12日閲覧。(1924年-1930年)
^ “映画世界 。書誌詳細 。国立国会図書館オンライン”. 国立国会図書館. 2020年7月12日閲覧。(1948年-1951年)
^ a b “橘 弘一郎(タチバナ コウイチロウ)とは”. 20世紀日本人名事典. コトバンク. 日外アソシエーツ. 2020年6月1日閲覧。
^ “橘弘一郎(たちばな こういちろう)とは”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 講談社. 2020年6月1日閲覧。
^ a b 「編輯後記」『映画之友』第9巻第1号、映画世界社、1931年1月、136頁。 
^ 『映画世界』、第3巻・第4巻(1926年)および第5巻(1927年)、映画世界社。茨城大学図書館所蔵。
^ a b c d e 「『映画之友』創刊にあたつて」『映画之友』第1巻第1号、映画日本社、1941年1月、59頁。
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