1951年(昭和26年)1月、従来の日本映画製作者連盟(映連)会長兼任から学識経験者を委員長として専任することになり、元東宝社長・法学士の渡辺銕蔵が2代目委員長に就任した[4]。
1956年(昭和31年)に、若者の享楽的な風俗を描いた、石原慎太郎原作の映画『太陽の季節』が公開された際には、各地で18歳未満(17歳以下)の者の観覧が条例(青少年健全育成条例)によって禁止される社会問題となり[5][6]、その反省を受けて委員を外部の有識者に委嘱し、運営を映画界から切り離す組織改編が行われ、同年12月に新たな表現の自主規制機関となる「映画倫理管理委員会」(新映倫)が発足した[1]。
2009年(平成21年)4月23日に「映画倫理規程」に代わり「映画倫理綱領」が制定され、同時に委員会の名称も「映画倫理委員会」に改められた。また、年齢層に対応して推薦する映画を選定するため、映画倫理委員会委員長の諮問機関として「年少者映画審議会」が設置された。全国興行生活衛生同業組合連合会(全興連)に加盟する映画館は、映倫の審査した作品のみを上映することになっている。
2017年(平成29年)、任意団体としての映画倫理委員会は解散し、4月1日より新たに設立された一般財団法人「映画倫理機構」に業務を移管した。審査は同機構内に新たに設けられた「映画倫理委員会」が引き続き行う[7]。
年表
1949年4月 - 「映画倫理規程」制定、映画倫理規程管理委員会(旧映倫)発足。
1956年12月 - 映画倫理管理委員会(新映倫)が発足。
1972年9月 - 日活ロマンポルノ事件が発生、映画審査をした映倫が「猥褻図画公然陳列幇助罪」で問われるも、裁判で無罪判決が確定。
2009年4月23日 - 「映画倫理綱領」制定、「映画倫理委員会」と改称。
2017年4月1日 - 「映画倫理機構」として一般財団法人化。
委員会組織
委員長
濱田純一(東京大学名誉教授)
副委員長
吉永みち子(文筆業)
委員
吉國浩二(事業構想大学院大学副学長)別所哲也(「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」代表/創設者)升本喜郎(弁護士)
審査員
8名
歴代委員長
旧映倫氏名在職期間
1永田雅一1949年 - 1950年
2渡辺銕蔵1951年 - 1956年
新映倫氏名在職期間
1高橋誠一郎1957年 - 1978年
2有光次郎1978年 - 1990年
3清水英夫1990年 - 2009年
4大木圭之介2009年 - 2017年
5濱田純一2017年 - 現職
審査
倫理基準詳細は「映画のレイティングシステム#日本」を参照
レイティングは主にアメリカの倫理基準を参考にした独自のものであり、申請者は審査結果に異議がある場合は再審査を請求できる。区分には、G(年齢にかかわらず誰でも観覧できる)、PG12(12歳未満の年少者の観覧には、親または保護者の助言・指導が必要)、R15+(15歳以上のみ対象)、R18+(18歳以上のみ対象)の4種類があり、2009年より色分け表示が導入された。
規程では質の批評は行わないことになっているものの、基準には時代の流れが反映される。1990年代前半には『美しき諍い女』により性表現が、1990年代後半から2000年代は『バトル・ロワイアル』を始めとした暴力表現や『スワロウテイル』など反社会的勢力の表現が規制の対象になった。
DVD作品やゲームソフトなどの審査は別団体が行うが、経済産業省の指導により2006年(平成18年)7月に映像コンテンツ倫理連絡会議が設置され、日本ビデオ倫理協会(NEVA、ビデ倫)、コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)、コンピュータエンターテインメント協会(CESA)、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)、日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)とともにレイティングの審査基準・表示の統一化を検討している。