星飛雄馬
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『新・巨人の星』で“ビッグ”・ビル・サンダーに英語で礼が言えないため、やおら彼にマッサージを施し、肉体で感謝の意思を表したこともある[11]。なお青雲高校の入学試験では学科は全科目ほとんど満点だったことが確認されていた。少年時代に大リーグボール養成ギプスをはめられた当初、「おれは、ばりばり勉強してアルバイトしながら一流大学に進みこんなどん底生活からぬけだしたいんだ」と言っているシーンがある。
アニメ版のピッチングフォームについて

アニメの制作を手がけた読売テレビ・プロデューサー・佐野寿七は「巨人に入団してからの飛雄馬のピッチングフォームは、当時の左のエースだった高橋一三をモデルにしました。多摩川グラウンドで投げてるところをカメラで撮影して、それを参考にアニメしました。当時まだ売り出し中だった新浦壽夫をモデルに、という声もありましたが、結局は高橋一三になりました」と話している[12]。また杉下茂は「小柄な日本人投手にとっては、飛雄馬のように足を高く上げるフォームは理想的なものである」と評価している[13]

なお、原作で作画を担当した川崎のぼるは、「(花形満のモデルとした)村山実は『巨人の星』のキャラクターの中で唯一存在したモデル」と語っており、原作の飛雄馬には実在の特定のモデルはいないことになる[14]
名前について

『巨人の星』が連載終了した翌号の「週刊少年マガジン」1971年1月24日号に掲載された梶原一騎と川崎のぼるの対談によると、企画段階での主人公の名前の第一候補は「明星(みょうじょう)」を逆さにした「星 明(ほし あきら)」だったが、原作者が人間成長ドラマを描くということで、宮本武蔵坂本龍馬のイメージを重ね合わせ、人間的に悩みながら成長するという意味で英語の「HUMAN」(人)から「飛雄馬」にしたという[15]。「明(あきら)」という名は飛雄馬の姉の名前に採用され、「明子」(あきこ)となった。宮本武蔵と坂本龍馬はどちらも一徹が飛雄馬に語った人生訓話に出てきており、飛雄馬の人生に大きな影響を与えた。

また星飛雄馬にあやかって息子に「飛雄馬」と名付けた人もいた。特にお笑いコンビ「モンキーチャック[16]」の星飛雄馬は父が読売ジャイアンツのファンであったことから「飛雄馬」の名を付けられ、同姓同名であることを自虐ネタとしている。また2011年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから7位指名を受け入団した松井飛雄馬内野手(三菱重工広島、母親が作品のファンだったため命名)は、登録名を「飛雄馬」としているほか、歌手の石崎ひゅーいも「飛雄馬」と「ゾーイ」を混ぜて「ひゅーい」と名付けられた。
その他

2000年7月にはダイハツ工業小型ミニバンアトレー7」のCMキャラクターに起用された。内容は当時巨人の高橋由伸との対決という演出だった。「大リーグシート 完成篇」と「感動編」の2種類。

2004年のドラフト会議で巨人から6巡目指名の星孝典捕手(東北学院大学)が入団し、チーム創立以来初の巨人の「星」が誕生した。

2010年NTT番号情報株式会社が運営するiタウンページのプロモーションキャラクターとして星飛雄馬など巨人の星登場キャラクターを使用。

2012年1月16日から同年12月までKDDI、および沖縄セルラー電話が展開するauブランドのイメージキャラクターとして星飛雄馬が起用された[17][18]

アニメ『巨人の星』の第92話「折り合わぬ契約」では、飛雄馬がライバルのアームストロング・オズマから「お前は野球ロボットではないか」と煽られたことをきっかけに、人間らしさを取り戻そうとクリスマスパーティを開催する場面が描かれている[19][20]。結果として招待した姉や友人は誰も現れず飛雄馬が荒れ狂う姿が描かれているため、インターネット上で話題になることも多い[19]。この回は2014年11月12日放送の『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の「新・3大スポ根アニメの脱線回」で取り上げられたほか[19]トムス・エンタテインメントの公式Youtubeチャンネルでは「伝説のクリぼっち回」として紹介されている[21]

脚注・出典^ アニメ放送前、青年の飛雄馬の声は野沢に決まりかけていたが古谷は青年の飛雄馬もそのまま続投した。野沢が演じたのは第161話の赤ん坊時代の回想シーンのみ。
^ 『新・巨人の星』の回想場面では、箸を持つ幼い飛雄馬の右手を一徹が叩いており、『巨人の星』で左腕時代の飛雄馬が食事をした場面では、有名な一徹に殴られる場面の前は左手で、その直後は右手で箸を持っていた。入団したての飛雄馬が千本ノックを受け、球を受ける右手がはれ上がり、伴が「あいつ、食事の時は右利きだからまずい」と思って、食べさせてやろうかと思い立ち、結局、「やめとこう、星が恥をかく」と言って思いとどまっている。字を書く場合は左利きらしく、大リーグボール3号の時、飛雄馬が左門宛の手紙をしたためる時は左手でペンを持っていた。しかし巨人宿舎から伴に対して手紙を書くときや、1968年の契約更改の時は右手でペンを持っていた。
^ 入試試験の成績はトップクラスだったが面接で父を「日雇い」だと言った事などから本来は入学出来なかった。しかしライバルの花形に勝ちたい伴が父親・大造に取りなして入学が認められた。
^ TVアニメ『巨人の星』第47話 前段の他球団スカウト発言。
^ 実際には既にドラフト制度が採用されており、作中ではテスト入団の場合はドラフトの対象外とあるが事実ではない
^ 飛雄馬は高校を退学した年にドラフト外入団で巨人へ入団しているが史実では1968年に新浦寿夫が学制制度と自身の国籍問題により高校を中退、ドラフト外で巨人に入団した経緯がある。


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