星由里子
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1958年(昭和33年)、東宝宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝したことをきっかけに芸能界入り[出典 4]

「八重歯のシンデレラ」をキャッチフレーズとし[6]1959年(昭和34年)に『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー[5]、同名のレコードで歌手デビューも果たす。

1960年(昭和35年)、同時期にデビューした浜美枝田村奈巳と合わせて「東宝スリーペット」として売り出される[1][6]。控えめで大人しい雰囲気の田村、明るく活発で女殺し屋やスパイ役もこなす浜のちょうど中間に位置し、清楚ながらも現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした。

成瀬巳喜男岡本喜八福田純監督作品に度々起用されていた。

1961年(昭和36年)から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となって人気を博した[出典 5]。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったほどであり、加山との共演作も多い。「澄子」の名が星の代名詞となるほどであった[1][8]

世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する1人とされた[6]。数年先んじてこの路線を代表した司葉子に対し、映画衰退期に差し掛かっていたこともあって大作よりはプログラムピクチャーへ多く出演。怪獣映画にも出演したために子どもたちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。

1964年(昭和39年)の『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』で立て続けに出演しており[7]、根強い特撮ファンの後押しを受けて2000年平成12年)の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』にて36年ぶりに怪獣映画へ出演した[出典 6]

女優として人気絶頂期だった1969年(昭和44年)、財界人で買収王で名を馳せた横井英樹の長男・邦彦と結婚するも、80日余りで離婚。

1975年(昭和50年)に脚本家の花登筺と再婚するも、1983年(昭和58年)に死別。

1990年(平成2年)に会社役員と再々婚[1]。それから亡くなるまで京都に在住していた。

加山とは1968年(昭和43年)の『リオの若大将』を最後に映画・テレビ共に共演作品が途絶え、揃ってマスコミに登場することがなくなったが、1975年に加山主演の『同心部屋御用帳 江戸の旋風』に星がゲスト出演して7年ぶりに共演し、以降は再びCMなどを含めて共演する機会が増え、団塊世代の大きな支持を得ていた。2007年(平成19年)の『永遠の若大将 加山雄三』に出演時には「今でも同世代の人たちから、澄ちゃんと声をかけられる」と青春時代を語っていた[出典無効]。

2002年(平成14年)に第28回菊田一夫演劇賞受賞。

2018年(平成30年)、直前に腎臓癌で死去した夏木陽介の公開葬儀の発起人になっていたが、自身も肺癌を病んでいたために出席は叶わなかった。そして、同年5月16日午後11時5分に、心房細動及び肺癌のために京都市の病院にて、74歳で死去[9]

2018年9月14日に東京の帝国ホテルで偲ぶ会が行われ、加山雄三を始め、宝田明司葉子(双方とも同社で何度も共演)、北島三郎名取裕子里見浩太朗あぐりで共演)、羽川英樹ら220人が参列した。

2019年(平成31年)、第42回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞。
エピソード

1962年(昭和37年)3月31日より開かれた「ミラノ国際見本市」の一環である『ミラノ日本映画見本市』(4月15日より同月19日)へ出席するため、4月10日、清水雅東宝社長)を団長に、川喜多長政奥山融奥山和由の父)、他映画会社の代表女優の佐久間良子東映)、吉永小百合日活)らと共に東宝代表としてイタリアミラノへ出発。因みに岸惠子が日本からではなく現地参加で合流している。星は吉永と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。

デビュー当時から星との共演が多かった佐原健二は、星はちょっとしたことですぐに笑うことから「ゲラコ」というあだ名であったことを証言している[10]

出演
映画箱根山』(1962年)『日本侠客伝 花と龍』(1969年)

手錠をかけろ(1959年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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