星セント・ルイス
CM
コロナ ファンヒーター(1982年)
呉工業 クレフォーミュラー365(1983年)
ロート製薬 パンシロン漢方胃腸薬
リコー XR-500
リコー AD-1
リコー XR6
日清食品 めんくらべ
森永乳業 ピチカート
久保田鉄工 コロニアル
ラジオ出演
ラジオ寄席(TBSラジオ)
真打ち競演(NHKラジオ第1放送)
レコード
シングル
ウッセー・ウッセー(CBSソニー 06SH-701)
A面「ウッセー・ウッセー」作詞:榎雄一郎、作・編曲:石田勝範B面「汚名挽回満点合格経」作詞:セント・ルイス・ファミリー、作・編曲:桜庭伸幸
アルバム
真実の追求(CBSソニー 25AH-909)
LET'S ONDO AGAIN - ゲスト参加
関連項目
ザ・ぼんち
紳助・竜介
ツービート
B&B
ヒロミ(B21スペシャル) - セントの弟子。
カージナルス(ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆) - 星セント・ルイスは事務所の先輩で、セントルイス・カージナルスに因んで星セント・ルイスが命名。
ホンキートンク(間瀬弾・平山利) - 初代コンビが星セント門下。
漫才
日本お笑い史
浅草松竹演芸場
脚注^ a b c d e f g ⇒一般社団法人 漫才協会 星セント・ルイス
^ しかしその反面、それが表に見えたことで一部の浅草芸人達から2人のその割り切りに対して嫌っていたという。
^ セントは名が知られてからもイヨネスコの『授業』や、ベケットの『ゴドーを待ちながら』などにも出演している。
^ 2人との会話はネタの打ち合わせ・舞台や寄席に立っている時だけであり、プライベートや家族同士との付き合いなども一切しなかった。
^ 「弁が立つ、腕が立つ」に続く韻踏みである。
^ もう一組として抜擢され出演したのがB&Bである。
^ 共に死因は肺癌であった。
^ その33週間後にその元相方と同じ病で死去した。共に56歳であった。
^ セントの姉が鎌倉に住んでいたことに由来する。
^ 静岡第一テレビでも開局と同時に音声多重放送が始ったことから、1979年7月1日15:45 - 17:00に放送された。
^ 音声多重放送開始を記念し、ステレオ漫才を披露した。
表
話
編
歴
日本放送演芸大賞の受賞者
1970年代
1973 5代目柳家小さん / 1974 てんぷく集団(三波伸介、伊東四朗) / 1975 3代目古今亭志ん朝 / 1976 10代目柳家小三治 / 1977 二葉百合子 /
1978 春日三球・照代 / 1979 星セント・ルイス
1980年代
1980 5代目三遊亭圓楽 / 1981 春風亭小朝 / 1982 2代目桂枝雀 / 1983 ビートたけし / 1984 タモリ / 1985 該当者なし / 1986 ビートたけし / 1987 明石家さんま
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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