明石家さんま
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^ テレビ朝日で人気番組であった『さんまのナンでもダービー』は、スタッフとの確執が原因で1995年9月に打ち切りとなり、さんまはそれ以降テレビ朝日ではレギュラー番組を持つことはなく、単発番組で1996年春の特番『ま!いっか』、1999年4月16日『ミュージックステーション』、2003年9月26日くりぃむしちゅー初の冠番組『くりぃむしちゅーの一度だけいい夢見させてスペシャル』で出演する程度であった。2009年8月6日の『アメトーーク!』の「雨上がり20周年企画」で出演したのをきっかけに、2010年10月9日放送の特番『もしもさんまさんだったら…?』で単発番組ながら約15年ぶりに冠番組として出演。その後は2016年2月11日放送の『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』で約5年半ぶりに出演(同番組には25年ぶりに出演)[71] するなどテレビ朝日プロデューサーの加地倫三が手掛ける番組を中心に定期的に出演をしている。一方で系列の朝日放送制作では、レギュラーないものの『明石家ジャパン』や『明石家さんまのコンプレッくすっ杯』などの特番に定期的に出演している。
^ 自身初の冠番組『さんまのサタデーナイトショー』が、24時台の放送にもかかわらず最高視聴率は13%を超え、当時のテレビ東京全番組中で最高視聴率を獲得したが、「局の最高視聴率番組がお色気番組とは体裁が悪い」という上層部の妻の意見で、人気番組であったが1984年で終了となった[72] 事に腹を立てて、完全に絶縁状態となった。この事についてはさんまは「ちょっと待てと。俺たちテレビタレントが頑張って面白い人気番組にして終わるって、俺ものすごいショックを受けて。俺もう意味がないと。頑張ってしゃべって人気番組にして、それで打ち切られたら」という一方で、「数字(視聴率)なんて取ってもあかんし、取らなかってもあかんから、どうでもええかと思えたのは良かった。その後のお笑い芸人としての人生でものすごく助かった」と、打ち切り騒動で得るものもあったと語っている[72]。2018年7月14日放送『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』にゲストとして34年ぶりの出演。「出川の番組だから出演した」という理由で、当初はテレビ東京だとは知らなかったという[73]
^ 東京初の冠のラジオパーソナリティとして『明石家さんまのオールナイトニッポン』(1979年10月?1981年3月)や『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』(1983年5月?1988年3月)などのレギュラーを持っていたが、ある時、野球中継のゲスト出演依頼があり、スケジュールの都合断ったものの、スタッフが大阪のラジオの生放送中にまで来たので、録音放送の約束で野球の話をしたが、それを生でやっている体で野球中継に差し込んだために、騙されたと感じスタッフに不信感を持ち、そこからしばらくは一切のオファーを断るようになった。2005年3月23日「ビビる大木のオールナイトニッポン」に17年ぶりにゲストに出演。さらに2011年8月25日「大竹しのぶのオールナイトニッポンGOLD」に6年5か月ぶりにゲスト出演した。2017年4月、「君に耳キュン!雪どけ 春の大作戦 明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト」として29年ぶりに冠番組のパーソナリティとして出演した[74]。それ以降は雪解けが進み同名の番組のレギュラーパーソナリティを隔月ペースで務めている。
^ さんま曰く「増刊号を担当していた上田ディレクター」。また、2014年3月31日に放送された『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』内では、『タモリンピック』担当ディレクターと発言している。また、タモリは『オギリンのこと?』と当時番組プロデューサーであった荻野繁と揉めてたと思っていたが、さんまがこれを否定した。
^ 一般には「増刊号生スペシャル」のテレフォンショッキングは時間制限がないことから記録に含めないため、最長記録は黒柳徹子が記録した43分となっている。
^ マツコ・デラックスと共演。マツコとは、自身がMCを務める『ホンマでっか!?TV』で約10年間共演していた。(マツコは2020年9月に同番組を降板)
^ 一般には世界のアナウンサー早押しクイズ。
^ 原曲は基調は変ホ長調であり、CMはヘ長調である。

出典^ a b 「さんま 将来の夢は「思い切り笑ってみたい」 本音をポツリ「杉本高文は寝ている時だけ」」『スポーツニッポン』、2021年10月10日。2023年10月7日閲覧。
^ FNS27時間テレビ2013の番組内にてタモリと伝統文化評論家・岩下尚史によって命名
^ a b “【明石家さんま】プロフィール”. エキサイト (エキサイトホールディングス). https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PEc23d9d448c2f101f6383e0288a2c11875bce55d2/p2181.php 2024年1月28日閲覧。 
^ a b c 『テレビ・タレント人名辞典 第3版』日外アソシエーツ、1997年7月25日、17頁。ISBN 4-8169-144-1-2。 
^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、17頁。
^ “明石家さんまの『つらすぎる生い立ち』 あの笑顔からはとても想像できない…”. 2023年6月13日閲覧。
^木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
^ “明石家さんまの『つらすぎる生い立ち』 あの笑顔からはとても想像できない…”. 2023年6月13日閲覧。
^ 明石家さんま「大会がない」中学時代の“謎”部活とは「それが今の健康につながっている」 - 日刊スポーツ 2024年1月3日
^ サウンドストリート1985年7月2日
^ a b c d e エムカク『明石家さんまヒストリー』新潮社、2020年。 
^ 明石家さんま『ビッグな気分』集英社、1980年。 
^ 明石家さんま「パチプロ」時代を過ごした意外な過去とは...... 極貧生活「パチンコで生計」大ブレイクまで続けた「パチンコ×芸人」ヒットの法則 biz-journal.jp 2018.03.22(株式会社サイゾー、2019年03月20日閲覧): ラジオ『明石家さんま オールニッポンお願い!リクエスト 私の東京物語2018年3月4日放送分における本人の発言
^ a b c 林家染丸『笑福亭松之助聞書 いつも青春ずっと青春』 燃焼社、2000年 p.188-189。同資料で松之助は、さんまの弟子入り志願時の会話の文言をそれぞれ「あんたはセンスがあるから」「それはどうも、褒めていただいてありがとう」と回想しており、さんま側の談話と微妙に異なっている。
^ 明石家さんま『こんな男でよかったら』ニッポン放送出版 1984年
^ さんま 40年前に愛の逃避行「溺れた」
^ a b c d 林家染丸『笑福亭松之助聞書 いつも青春ずっと青春』pp.189-196。明石家さんま『ビッグな気分 いくつもの夜を超えて』(集英社、1980年)の引用と松之助の回想からなる。
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