明石家さんま
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ さんまが笑っていいとものテレフォンショッキングに最初に出演した際に次に紹介した相手が、かねてからタモリが嫌いと公言してた小田和正であった。
^クイズ面白ゼミナール』に出演した際、「鉛筆」をテーマにした講義を聞いてあくびをして、その様子が放送されてしまい、番組に苦情が相次いで寄せられた[68][69]。また1985年放送の連続テレビ小説澪つくし』に「ラッパの弥太郎」としてレギュラー出演したが、リハーサルの多さや、現場で真面目にリハをしない事でたびたびスタッフと衝突し、こういったことも重なり結果的にNHK側から出演オファーが少なくなり疎遠になった。1999年に放送された大河ドラマ元禄繚乱』では、主役を務めた中村勘九郎から直々にオファーがあったことからゲスト出演したが、編集の段階でディレクターの判断で出演シーンのほぼすべてをカットされた(全カットではないので出演自体はしている)。このため、さんまは「収録までしたのにカットするか!?」と激怒。オファーした側の勘九郎も顔を潰されることとなったため、打ち上げの際、勘九郎とスタッフとで大喧嘩になった。2013年2月1日放送のNHK日本テレビで前述の「元禄繚乱」以来14年ぶりにNHKに出演となり[70]、この出演をきっかけに、2016年以降は『明石家紅白!』の司会などで定期的に出演するようになっている。
^ テレビ朝日で人気番組であった『さんまのナンでもダービー』は、スタッフとの確執が原因で1995年9月に打ち切りとなり、さんまはそれ以降テレビ朝日ではレギュラー番組を持つことはなく、単発番組で1996年春の特番『ま!いっか』、1999年4月16日『ミュージックステーション』、2003年9月26日くりぃむしちゅー初の冠番組『くりぃむしちゅーの一度だけいい夢見させてスペシャル』で出演する程度であった。2009年8月6日の『アメトーーク!』の「雨上がり20周年企画」で出演したのをきっかけに、2010年10月9日放送の特番『もしもさんまさんだったら…?』で単発番組ながら約15年ぶりに冠番組として出演。その後は2016年2月11日放送の『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』で約5年半ぶりに出演(同番組には25年ぶりに出演)[71] するなどテレビ朝日プロデューサーの加地倫三が手掛ける番組を中心に定期的に出演をしている。一方で系列の朝日放送制作では、レギュラーないものの『明石家ジャパン』や『明石家さんまのコンプレッくすっ杯』などの特番に定期的に出演している。
^ 自身初の冠番組『さんまのサタデーナイトショー』が、24時台の放送にもかかわらず最高視聴率は13%を超え、当時のテレビ東京全番組中で最高視聴率を獲得したが、「局の最高視聴率番組がお色気番組とは体裁が悪い」という上層部の妻の意見で、人気番組であったが1984年で終了となった[72] 事に腹を立てて、完全に絶縁状態となった。この事についてはさんまは「ちょっと待てと。俺たちテレビタレントが頑張って面白い人気番組にして終わるって、俺ものすごいショックを受けて。俺もう意味がないと。頑張ってしゃべって人気番組にして、それで打ち切られたら」という一方で、「数字(視聴率)なんて取ってもあかんし、取らなかってもあかんから、どうでもええかと思えたのは良かった。その後のお笑い芸人としての人生でものすごく助かった」と、打ち切り騒動で得るものもあったと語っている[72]。2018年7月14日放送『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』にゲストとして34年ぶりの出演。「出川の番組だから出演した」という理由で、当初はテレビ東京だとは知らなかったという[73]
^ 東京初の冠のラジオパーソナリティとして『明石家さんまのオールナイトニッポン』(1979年10月?1981年3月)や『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』(1983年5月?1988年3月)などのレギュラーを持っていたが、ある時、野球中継のゲスト出演依頼があり、スケジュールの都合断ったものの、スタッフが大阪のラジオの生放送中にまで来たので、録音放送の約束で野球の話をしたが、それを生でやっている体で野球中継に差し込んだために、騙されたと感じスタッフに不信感を持ち、そこからしばらくは一切のオファーを断るようになった。2005年3月23日「ビビる大木のオールナイトニッポン」に17年ぶりにゲストに出演。さらに2011年8月25日「大竹しのぶのオールナイトニッポンGOLD」に6年5か月ぶりにゲスト出演した。2017年4月、「君に耳キュン!雪どけ 春の大作戦 明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト」として29年ぶりに冠番組のパーソナリティとして出演した[74]。それ以降は雪解けが進み同名の番組のレギュラーパーソナリティを隔月ペースで務めている。
^ さんま曰く「増刊号を担当していた上田ディレクター」。また、2014年3月31日に放送された『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』内では、『タモリンピック』担当ディレクターと発言している。また、タモリは『オギリンのこと?』と当時番組プロデューサーであった荻野繁と揉めてたと思っていたが、さんまがこれを否定した。
^ 一般には「増刊号生スペシャル」のテレフォンショッキングは時間制限がないことから記録に含めないため、最長記録は黒柳徹子が記録した43分となっている。
^ マツコ・デラックスと共演。マツコとは、自身がMCを務める『ホンマでっか!?TV』で約10年間共演していた。
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:315 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef