明治
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西暦1872/2/93/94/85/76/67/68/49/310/311/112/112/30?31[注釈 30]

明治元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年
西暦1868年?1869年1869年?1870年1870年?1871年1871年?1872年1872年1873年1874年1875年1876年1877年
干支戊辰己巳庚午辛未壬申癸酉甲戌乙亥丙子丁丑
明治11年12年13年14年15年16年17年18年19年20年
西暦1878年1879年1880年1881年1882年1883年1884年1885年1886年1887年
干支戊寅己卯庚辰辛巳壬午癸未甲申乙酉丙戌丁亥
明治21年22年23年24年25年26年27年28年29年30年
西暦1888年1889年1890年1891年1892年1893年1894年1895年1896年1897年
干支戊子己丑庚寅辛卯壬辰癸巳甲午乙未丙申丁酉
明治31年32年33年34年35年36年37年38年39年40年
西暦1898年1899年1900年1901年1902年1903年1904年1905年1906年1907年
干支戊戌己亥庚子辛丑壬寅癸卯甲辰乙巳丙午丁未
明治41年42年43年44年45年
西暦1908年1909年1910年1911年1912年
干支戊申己酉庚戌辛亥壬子

現代における明治

総務省統計局の推計では、2009年(平成21年)10月1日の時点では、日本における明治生まれの人口は16万6千人で、総人口の0.1%となった[35]

2011年(平成23年)10月1日の時点では、日本における明治生まれの人口は7万1千人で総人口の0.1%[36]。以降の統計では大正生まれの人口と合算して発表されている(2011年の大正生まれの人口は417万人で総人口の3.3%)。

2012年(平成24年)7月30日で明治生まれは全員100歳以上となる。9月発表の百歳以上高齢者(9月15日時点、大正元年7月31日?9月15日生まれを除いて明治生まれである)は5万1千376人[37]

2017年(平成29年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は170万7千人で総人口の1.3%[38]

明治生まれで令和改元の日(2019年5月1日)まで生きた人はおおよそ2600人程度[39]

2019年(令和元年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は114万1千人で総人口の0.9%[40]

2020年頃より、47都道府県のうち、それぞれの都道府県内に明治生まれの存命者が一人となったりゼロとなるケースが出てきている[41][42][43]

2021年10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は67万7千人で総人口の0.5%。

2022年7月30日で明治生まれは全員110歳以上となる。

2024年3月に国内最高齢男性は大正生まれとなり、明治生まれの存命の男性はいなくなった[44]

2000年代初め頃から、生年月日記入欄で元号を選択させる場合は明治が省かれる(すなわち、大正・昭和・平成の3つから選択させる。)ようになる。ただし、行政機関の申請・届出書類やJR各社の定期券購入申込書[45]などでは、2010年(平成22年)の時点では、明治が入っている場合が多かった。
明治を冠するもの「「明治」で始まるページの一覧」および「明治 (曖昧さ回避)」も参照

これらのうち、明治グループ・明治大学の略として「明治」を用いることが多い。
企業


明治安田生命(旧明治生命)

明治ホールディングス(明治グループ)

明治(旧明治乳業、旧明治製菓)ほか、明治グループ傘下各社


大日本明治製糖

明治機械

明治屋

明治書院

明治鉱業

明治海運

学校


明治大学

明治学院大学

明治国際医療大学

明治薬科大学

その他


博物館明治村

明治館 (曖昧さ回避)

明治用水

明治治水

明治憲法

明治通り (曖昧さ回避)

明治会堂

架空の事物


関東明治組(コンピューターゲーム『探偵 神宮寺三郎シリーズ』に登場する暴力団組織)
また、通話表で「」を送る際に「明治のメ」という。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 南北朝時代北朝元号を除くか含めるかによる。
^ a b これは改元日を起点とする形式的区分であり、改元の詔書による明治の開始日とは異なる(後節参照)。
^ 厳密には、天保暦による日付と現在一般に「旧暦」として流布する日付は、わずかにずれる。詳しくは、旧暦#日本を参照。
^ ただし、西暦についても、ユリウス暦からグレゴリオ暦への移行は国ごとに異なっていることを念頭に置く必要がある。例えば、ヨーロッパでも、ロシアグレゴリオ暦を実施したのは1918年(大正7年)2月14日、同じくギリシャ1923年(大正12年)3月1日など、アジアの日本よりも遅い。なお、日本の1873年(明治6年)1月の太陽暦採用において置閏法に不備があったため、厳密にはグレゴリオ暦採用ではなく、1873年(明治6年)1月から1898年(明治31年)5月まではグレゴリオ暦とは一致するものの「ユリウス暦と同じ置閏法を採用した日本独自の暦(ユリウス暦の日付を12日進めた暦)」であり、置閏法を含めた厳密なグレゴリオ暦採用は1898年(明治31年)5月以降のことである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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