その後、第一次世界大戦の講和により完成したベルサイユ体制の世界で、日本は1920年(大正9年)に設立された国際連盟に常任理事国として参加、明治維新から約50年という速さで列強国の一つに数えられることになった。
明治年間の条約改正交渉年表詳細は「条約改正」および「外国人司法官任用問題」を参照
植民地化されずに自力で近代化への改革をなした日本は、1894年(明治27年)には英国と条約改正を成し遂げ、これを皮切りに幕末以来の不平等条約の解消を進めた。これを完全に達成したのは韓国併合以降である。岩倉使節団。右から大久保利通、伊藤博文、岩倉具視、山口尚芳、木戸孝允。
日墺修好通商航海条約(1869年〔明治2年〕):欧米諸国の、日本に対する不平等条約体制が完成する。
岩倉使節団を派遣(1871年〔明治4年〕):条約改正交渉失敗。
外務卿寺島宗則による交渉(1876年〔明治9年〕- 1878年〔明治11年〕):税権の回復にアメリカは賛成するが英独が反対し頓挫。
外相井上馨による交渉(1882年〔明治15年〕- 1888年〔明治21年〕):鹿鳴館の建設による欧化政策、裁判所に外国人判事を採用など→ボアソナードや谷干城、国粋主義者の反発、ノルマントン号事件に対する不首尾もあり、井上辞任。
外相大隈重信による交渉(1888年〔明治21年〕- 1889年〔明治22年〕):大審院にのみ外国人判事を採用することがロンドンタイムズ紙にリークされる→玄洋社の来島恒喜のテロに遭遇し、辞任。
外相青木周蔵による交渉(1889年〔明治22年〕- 1891年〔明治24年〕):法権回復にイギリスは賛成したが、大津事件で頓挫。
日英通商航海条約(1894年〔明治27年〕):外相陸奥宗光、イギリスに治外法権の撤廃(領事裁判権の撤廃)を認めさせる。
日米通商航海条約(1911年〔明治44年〕):外相小村寿太郎、アメリカに日本の関税自主権を認めさせる。
産業の変化1889年(明治22年)に竣工した東京・浅草の凌雲閣(関東大震災の影響で1923年解体)。
明治時代で特徴的な点が、西洋式文物の大量輸入による産業革命である。
しかし明治維新が起こった時には神仏分離令により廃仏毀釈運動が起こった。1870年代(明治3年?12年)中期になると、西洋文明の輸入が本格化。1872年(明治5年)の「殖産興業」による鉄道開業と富岡製糸場設立は、これを象徴する出来事である。
松方デフレによる不況、内国勧業博覧会の実施を経て、日清戦争の勝利によって軽工業を中心とする産業革命が本格化した。1901年(明治34年)には、日本初の西洋式製鉄所である官営八幡製鉄所が開業し、重工業の勃興を告げた。
年表
1868年(明治元年)
戊辰戦争。神仏分離令、五箇条の御誓文・五榜の掲示。7月江戸は東京と改称、鎮将府が置かれ、江戸府は東京府に。明治に改元・一世一元の詔。東京行幸(9月20日発駕-10月12日東京着)、京都還幸(11月)。この年、現在の長野・栃木などの諸県で農民騒擾。
1869年(明治2年)
東京奠都。:戊辰戦争の終結、五稜郭の戦い。版籍奉還(3月)。太政官制導入。蝦夷地、北海道と改称、開拓使設置(8月)。
1870年(明治3年)
日章旗が国旗となる(商船規則)。樺太開拓使設立。庚午事変。苗字許可令(庶民苗字差許)。横浜毎日新聞発刊。
1871年(明治4年)
新貨条例制定。廃藩置県、全国の府県を改廃(3府72県となる)。戸籍法(翌1872年2月1日より実施:壬申戸籍)、日清修好条規、新貨条例。この年、現在の岡山・島根などの諸県で旧藩主の東京移住に反対して騒擾。岩倉使節団派遣。宮古島島民遭難事件。
1872年(明治5年)
田畑永代売買禁止令を廃止。学制発布。琉球藩設置、琉球国王の実質的廃位。初めて全国の戸籍調査を実施(総人口3311万825人)。太陽暦の採用(十一月九日の改暦詔書、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とした)。
1873年(明治6年)
徴兵令施行。キリシタン禁制の高札撤去。神武天皇の即位日を2月11日に改めて、紀元節を制定。地租改正。征韓論問題(明治六年政変:西郷隆盛・板垣退助等が下野)。
1874年(明治7年)
民選議院設立建白書。佐賀の乱。台湾出兵。この年、秋田・高知などの諸県で地租改正反対などの農民騒擾約21件。
1875年(明治8年)
2月13日、平民の称姓布告。4月14日、左院・右院を廃し、元老院・大審院・地方官会議を設置し、漸次立憲政体樹立の詔勅発布。樺太・千島交換条約。6月20日、第1回地方官会議開く。6月28日、讒謗律・新聞紙条例を定める。9月30日、江華島事件起こる。この年、福岡・島根などで農民騒擾約15件。大阪会議、秩禄処分、国立銀行条例。