明治改暦
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注釈^ 太政官布告第359号では、旧暦の11月が29日までであったものを30日・31日を追加してそのまま新暦の明治6年1月1日としていたが、発表翌日に取り消された。太政官布告第372号で、2日しかない12月については月給を給付しない、とした。
^ 2015年(平成27年)の場合、2月2日(月)に発行された第6463号の25?26ページに「平成28年(2016)暦要項」が「告示」(掲載)されている。

出典^ 福澤諭吉『福澤諭吉書簡集』 第2巻、岩波書店、2001年3月23日、173-175頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-00-092422-2。 に収録。其後改暦の令あり。此時も同様、唯一片の詔にて更に諭告文を見ず。余り難堪存候に付、生は私に改暦弁と申小冊子を出版して、一時に十万部計り国内に分布し、此出版にては聊か行政の便を助けたること、今日も私に自負の意あり。 ? 福澤諭吉松田道之宛て書簡(1879年(明治12年)3月4日付)
^ 福澤は『福澤全集緒言』の中で、「『改暦弁』は風邪で寝込んでいるときに6時間で書き上げたもので、発売後ベストセラーになり、2・3箇月で売上額が700円に達した」、「その後の2・3箇月も同じように売れ続けたので、売上額は合計1000?1500円に達したようだ」と記している。以上の公文を見れば古来の太陰暦を廃し大(〔太〕)陽暦に改むることにして甚(はなは)だ妙なり。吾々(われわれ)の本願は唯(ただ)旧を棄(す)てゝ新に就(つ)かんとするの一事のみなれば、何は扨(さて)置き先(ま)ず大賛成を表したりと雖(いえど)も、抑(そ)も一国の暦日を変するが如(ごと)きは無上の大事件にして、之(これ)を断行するには国民一般にその理由を知らしめて丁寧反覆、新旧両暦の相異(あいこと)なる由縁を説き、双方得失の在る所を示して心の底より合点(がてん)せしむこそ大切なれ。欧羅巴(ヨーロツパ)の耶蘇(ヤソ)教陽暦国にて、露国の暦は他に異(こと)なること僅(わず)かに十二日なれども、古来の慣行にて今日尚(な)お之(これ)を改むるを得ず。然(しか)るに日本に於(おい)ては陰陽暦を一時に変化して凡(およ)そ一箇月の劇変を断行しながら、政府の布告文を見れば簡単至極(しごく)にしてその詳(つまびらか)なるを知るに由(よし)なし、畢竟(ひつきよう)官辺(かんぺん)にその注意なくして且(か)つは筆執(と)る人の乏しきが為(た)めなりと推察せざるを得ず。左(さ)れば民間の私に之を説明して余処(よそ)ながら新政府の盛事(せいじ)を助けんものをと思付(おもいつ)き、匆々(そうそう)書綴(かきつづ)りたるは改暦弁なり。その起草は発令の月か翌十二月か、日は忘れたり、少々風邪に犯され床(とこ)の上にて筆を執(と)り、朝より午後に至るまで凡(およ)そ六時間にて脱稿したり。固(もと)より木葉(このは)同様の小冊子にて何の苦労もなかりしが、扨(さて)これを木版にして発売を試みたるに何千何万の際限あることなし。三版も五版も同時に彫刻して製本を書林(しよりん)に渡しさえすれば直(ただち)に売れ行くその有様(ありさま)は之を見ても面白し。一冊何銭とて高(たか)の知れたる定価なれども、塵(ちり)も積れば山と為(な)るの諺(ことわざ)に洩(も)れず、発売後二、三箇月にして何かの序(ついで)に改暦弁より生じたる純益の金高を調べたるに七百円余に上(のぼ)りたることあり。その時、著者は独(ひと)り心に笑い、この書を綴りたるは僅(わずか)に六時間の労なり、六時間の報酬に七百円とは実に驚き入る、学者の身に斯(かか)る利益を収領(しゆうりよう)しても宜(よろ)しかるべきやと、恰(あたか)も半信半疑に自(みず)から感じたるは、旧藩士族根性の然(しか)らしむる所にして今尚(な)お之(これ)を記憶す。二、三箇月の後も売捌(うりさばき)は依然として止(や)まず、利益の全額は千円も千五百円も得たることならん。畢竟(ひつきよう)余が今日に至るまで何に一つの商売もせず、工業もせず、家富みて余(あまり)あるには非(あら)ざれども、大勢の家族と共に心配なく生活して静(しずか)に老余を楽しむは、改暦弁のみならず他の著訳書より得たる利益の多かりしが故なり。 ? -、福澤諭吉『 ⇒福澤全集緒言』時事新報社、1897年、102-104頁。 ⇒http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=114&PAGE=108。 
^ 円城寺清『大隈伯昔日譚』立憲改進党々報局、1895年、601-602頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781144/316。 
^ 青木信仰『時と暦』東京大学出版会、1982年9月、p.30頁。ISBN 4-13-002026-9。 
^ 内閣記録局 (1889—1891). “法規分類大全. 〔第2〕”. 内閣記録局. 2019年2月14日閲覧。
^ 『法令全書 明治5年』 第7冊、内閣官報局、1912年、358頁。NDLJP:787952/236。 漢字は新字体にあらためた。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行スの原文があります。ウィキソースに閏年ニ關スル件の原文があります。

改暦

太陽暦

グレゴリオ暦


太陰太陽暦

天保暦

閏月


日本の暦

外部リンク

明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
- e-Gov法令検索

明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件) - e-Gov法令検索

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