この項目では、東京都中央区にある劇場について説明しています。その他の用法については「明治座 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
株式会社明治座
MEIJIZA CO.,LTD.明治座定紋「丸に大和桜」
種類株式会社
本社所在地 日本
〒103-0007
東京都中央区日本橋浜町2丁目31番1号
北緯35度41分16.68秒 東経139度47分12.77秒 / 北緯35.6879667度 東経139.7868806度 / 35.6879667; 139.7868806
設立1950年(昭和25年)5月
業種サービス業
法人番号7010001058757
事業内容演劇、演芸、映画その他各種の興行並びに興行場、附属室、設備等の賃貸 他
代表者三田芳裕(代表取締役社長)
資本金
1億円
(2023年8月31日現在)[2]
発行済株式総数
400万株
(2023年8月31日現在)[2]
売上高
連結: 116億8054万1000円
単独: 57億4140万9000円
(2023年8月期)[2]
営業利益
連結: 2億2847万8000円
単独: 2204万8000円
(2023年8月期)[2]
経常利益
連結: 2億5562万6000円
単独: 4328万5000円
(2023年8月期)[2]
純利益
連結: 1億5577万6000円
単独: 2243万2000円
(2023年8月期)[2]
純資産
連結: 32億9001万7000円
単独: 15億2205万7000円
(2023年8月31日現在)[2]
総資産
連結: 198億6482万7000円
単独: 153億8985万9000円
(2023年8月31日現在)[2]
従業員数
連結: 309人
単独: 105人
(2023年8月31日現在)[2]
決算期8月31日
会計監査人監査法人セントラル[2]
主要株主
銀座コリドー 13.26%
三田芳裕 5.88%
松竹 4.29%
アサヒビール 1.51%
損害保険ジャパン 1.51%
五箇幸子 1.46%
武紫津子 1.45%
阪口清弘 1.40%
小田切信 1.34%
竹中工務店 1.26%
みずほ銀行 1.26%
(2023年8月31日現在)[2]
主要子会社
明治座舞台 100.0%
明治座フードコミュニティー 100.0%
エス・ピー・ディー明治 100.0%
芳町会館 100.0%
伊勢 95.0%
アーヌエヌエ 95.0%
関係する人物
初代市川左團次
三輪善兵衛
新田新作
三田政吉
三田光政(専務取締役)
外部リンクhttps://www.meijiza.co.jp/
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明治座(めいじざ、英: Meijiza)は、東京都中央区日本橋浜町二丁目にある劇場、およびこれを運営する企業の株式会社明治座(かぶしきかいしゃめいじざ、英: MEIJIZA CO.,LTD.)である。 明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。明治座は戦前から戦後昭和の一時期までは、歌舞伎や新派の殿堂として知られた。また、大正時代の一時期は野球部を保有していた。[3]その後は時代劇公演や、時代劇俳優や演歌歌手など年配に好まれる芸能人が座長となった歌謡ショー形態の公演(座長公演)が中心となった。 2000年代に入るとテレビ局との提携による現代劇や観劇者の世代を引き下げたミュージカル形態の公演もおこなわれるようになった。舞台設備には、宙乗り装置も常備されている。各階のロビーには所蔵絵画が多数展示されており、美術館のような雰囲気を醸し出している。 また、福岡県福岡市博多区の博多座で年1回の割合で舞台を制作しているほか、明治座グループとして都内を中心に外食産業も手掛けている(過去には俳優養成機関である明治座アカデミーの運営も行っていた)。 公演方式は他の劇場とは異なり、30分程度の幕間(休憩時間)を1?2回挟む。劇場内に大人数に対応した食堂や喫茶コーナーがあり、休憩時間を利用して客を誘導するシステムとなっている(食堂は一部事前予約制)。飲食店のほかにもロビーには売店が多数あり、公演にちなんだ土産品や衣料品雑貨などを販売している。建物3階(劇場1階席)受付にてオペラグラスの貸出(有料)を行っており、貸出料は一律500円。保証料は一般的なオペラグラスは2000円、高機能なカブキグラスでは5000円。弁当製造部門は明治座本体が運営しており、江東区東砂に工場があり劇場で供されるほか、都内へケータリングも行っている。西京漬は単体で主力商品としている。 本劇場の前身は江戸時代末期に両国にあった富田三兄弟による菰張芝居 (こもを巡らしただけの芝居小屋) で、1873年(明治6年)の両国橋畔の興行禁止令により、久松町 に移転し喜昇座(きしょうざ)として創建された[4]。初期には焼失と再建を繰り返しながら成長し、その度に名称も久松座(ひさまつざ)、千歳座(ちとせざ)とめまぐるしく変わっていった。1893年(明治26年)に初代市川左團次が千歳座を買収して座元 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていた[5]。地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、1947年(昭和22年)3月に復興期成会が組織された[5]。「復興期成会」のもとで「株式会社明治座」が設立され、松竹からその所有権を譲渡された[6]。明治座設立発起人準備委員会を開いたのは、復興期成会結成から3年近くも経った1949年(昭和24年)11月だった[5]。発起人総代に三輪善兵衛(ミツワ石鹸社長)、副総代に新田新作
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