三陸海岸の北部は40年前の安政3年(1856年)に発生した安政八戸沖地震においても津波を受けているが、波高も高くなく被害も限定的だった。このことが、津波に対する軽視や油断を生んだ可能性も指摘されている[15]。
なお、この日は旧暦では5月5日にあたっていたが、当時のこの地域では依然として旧暦によって祝い事をする人々も多く、端午の節句の祝いを行っている最中に津波の直撃を受けた例も多かったという[16]。 アメリカ合衆国のハワイ州には全振幅2.4- 9.14mの高さの津波が到来し[17]、波止場の破壊や住家複数棟の流失などの被害が出た[18]。また、アメリカ本土ではカリフォルニア州で最大9.5ft(約2.90m)の高さの津波を観測した[18]が、被害は記録されていない。 日本国内は緯度の高い地域から、国外は震源に近い地域から、順に記載する。数値は最大値。 国地域波高
日本国外への余波
津波の観測値(まとめ)
(海抜)遡上高
(海抜)
日本北海道庁幌泉郡(現北海道幌泉郡えりも町)の襟裳岬04m
青森県三戸郡八戸町近辺(現八戸市内丸あたり)03m
岩手県下閉伊郡田老村(現宮古市田老)14.6m
岩手県下閉伊郡重茂村
岩手県下閉伊郡船越村
岩手県上閉伊郡釜石町(現釜石市釜石)08.2m
岩手県気仙郡吉浜村(現大船渡市三陸町吉浜)22.4m
岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)21.9m
岩手県・綾里湾の奥(綾里村近隣)38.2m
宮城県牡鹿郡女川村(現牡鹿郡女川町女川浜女川)03.1m
アメリカ合衆国ハワイ州30ft(約9.14m)
カリフォルニア州09.5ft(約2.90m)
被害
日本国内[17][19][20]
行方不明者が少ない理由について、震災後当初は宮城県の一部や青森県では検死を行い、死者数と行方不明者数を別々に記録し発表していたが、「生存者が少ない状況で煩雑な検死作業をしていられなかった」というなかで「検死を重視していなかった」などの社会背景により、「行方不明者」という概念はなくなり、死亡とみなされる者はすべて「溺死」あるいは「死亡」として扱われた[21]。