明仁から徳仁への皇位継承
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また、第4条には天皇は「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあり、「国事に関する行為」の内容は第7条に記されている[17]1978年には、第84回国会で、政府役員の真田秀夫が、退位や譲位には皇室典範の改正が必要だろうと答弁している[18]。そして、1989年には昭和天皇崩御により、明仁への皇位継承が行われた[19]。その後、1991年の第120回国会、1992年の第123回国会、2001年の第153回国会において、天皇の退位についての答弁が行われたが、いずれも、天皇の恣意的な退位の可能性、強制的な退位の可能性、上皇や法皇が現れることによる弊害などにより、天皇の退位を認めていないとのものだった[20][21][22]
譲位の検討
明仁の意向表明

このような状況の中、2010年7月22日19時の参与会議で明仁(当時76歳)は日本社会の高齢化に触れ、「皇室の高齢化に措置が必要だ」とした上で、「譲位して、皇太子に皇位を譲る」と他の参加者に話した。参加者らは公務の削減や摂政の設置で思いとどまるよう言ったが、明仁は「天皇の務めは天皇にしか果たせない」と反論、議論は5時間以上続いたが、この日は結論が出ずに終わった[3]。このとき明仁は、「譲位は十分に先例があり、何らおかしいとは思わない」とも述べた[23]

明仁が譲位を決断するに至った背景について、NHKは「昭和天皇の晩年のほとんど意識もない中での闘病生活や、母親の香淳皇后が晩年に認知症を患っていた時の状況などを実際にご覧になっていたことが大きく影響しているのではないか」としている[24]
関係者での検討

この会議の後、「譲位を問題意識として持ってもらいたい」という考えが、宮内庁の幹部にも伝えられ、ヨーロッパの王室制や、過去の天皇の譲位などについての調査が密かに行われた[25]。しかし、譲位の制度がなかったことから宮内庁は慎重で、宮内庁から総理官邸に、明仁が譲位の意向を示していることが伝えられたのは5年後の2015年秋のことだった[26]。その後、譲位の意向に適当な時期になったとし、具体案として宮内庁は同年12月の天皇誕生日での表明を検討したが、官邸は慎重な姿勢を示した[27][26]。それからは、代替策として、公務縮小や摂政の要件緩和が考えられ、譲位を回避しようとしたが[26]、意向の表明はフィリピンでの戦没者の慰霊後の翌年8月に行われることとなった[27]
譲位意向の公表
最初の報道.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。

天皇陛下、「生前退位」の意向を示される - 宮内庁関係者
 (2019年7月13日)

2016年7月13日18時59分、日本放送協会(NHK)は、宮内庁関係者の話として、テロップで天皇が譲位の意向を示したことを伝え、これが初報となった[28]。その日の19時から放送されたNHKニュース7で、字幕を「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と表示して報道が行われると、他の報道機関も追って報道し、翌7月14日朝の新聞はトップで譲位の意向を報じた[28][29]。ところが、朝日新聞は7月13日夜、宮内庁次長の山本信一郎は「報道されたような事実は一切ない」と、全面的に否定したとしている[30]。一方、同日、毎日新聞は「陛下(明仁)自らがお気持ちを表明する方向で調整」していると報じる[31]など、報道機関によって報道の方向性は分かれた[32]。また、7月15日には内閣官房長官の菅義偉も記者会見で、宮内庁の関係者の発言通りだとして、「政府としてコメントは控えたい」と述べた[33]。翌7月16日には、明仁自身は早く譲位することを希望していないとも報じられた[34]
ビデオメッセージの公表「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」も参照ウィキニュースに関連記事があります。

天皇陛下、8月上旬にもお気持ち表明の見通し - 「生前退位」を巡り (2016年7月30日)
ウィキニュースに関連記事があります。

天皇陛下、8月8日にお気持ち表明へ - 午後3時からビデオメッセージの形で (2016年8月6日)
ウィキニュースに関連記事があります。

天皇陛下、お気持ち表明 - 象徴としてのお務めを案じられる (2016年8月8日)

一連の報道を受けて、明仁は「可及的速やかに意向を表明すべきだ」として、2016年中に予定していた意向表明を8月に行うことになった。方法については、7月末の時点では記者が同席して明仁が直接意向を示す場を設けることが検討された[35]8月5日までに、8月8日の15時に、10分程度の事前に録画したビデオメッセージを、明仁が意向を示すために公表すると、宮内庁は発表した。宮内庁は、ビデオメッセージは明仁の意向を確実・正確に伝えるためにふさわしい手段であるとした[36]

ビデオメッセージ(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)は予定通り8月8日15時に公表された。2011年3月16日の「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」に次いで2回目となった明仁によるビデオメッセージでは、法改正が必要となる譲位を自らが公表することで、政治行為に該当すると考えられるおそれがあったため、「譲位」の語は使われなかったが、天皇が年老いた後も公務を象徴として滞ることなく行っていくためにはどうすればよいのか、国民の理解を求めた[37]。これを受けて内閣総理大臣の安倍晋三は、「天皇陛下のご心労に思いをいたし、どのようなことができるのか、しっかり考えていかなくてはいけない」と述べた[4]
皇位継承の議論
譲位のあり方
議論の経過「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」も参照

ビデオメッセージの公表後、内閣法制局は、天皇の意思で退位することが天皇の地位は「日本国民の総意に基く」と定めた日本国憲法第1条に違反するとして、将来的にも天皇の退位を可能にするにはこの憲法を改正しなければならないと指摘した。


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