旭鷲山昇
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稽古量も現役当時の力士としては出色で、巡業地では1日に50番以上もの稽古をこなすこともあった[6]。一方で「旭鷲山はただ体を動かしているだけ。あれだけ足腰がいいのだから、前に出る相撲を心掛けていれば、少なくとも大関にはなっていた」と指摘する親方もいた[6]

なお「技のデパート・本店」である舞の海との取組も数度実現している。この中には1分を超える取組も見られ、「大相撲」と言われたこともある。
朝青龍との確執

2003年7月場所、モンゴルの後輩でもある横綱の朝青龍との一番で、朝青龍が旭鷲山の髷を掴み反則(7年ぶりの反則勝ち)で勝ち星を得たが、協会は金星と認めないことを発表した[7]。旭鷲山と朝青龍の両者は取組後の風呂場でも激しい口論となり、居合わせた大関の魁皇が割って入って止めたという。怒りが収まらなかった朝青龍は、旭鷲山の車のサイドミラーを壊して弁償する騒動にまで発展した。なお、両者は2003年5月場所の対戦でも土俵際で逆転負けした朝青龍が物言いを要求する態度を見せ、物議を醸した。この時には大々的に確執が伝えられたが、後に報道陣の前で和解した。
大学進学

2004年、早稲田大学に入学し、人間科学部人間情報科学科の通信教育課程にて学び始めた。早大を志望した理由は、モンゴルの大統領・ナツァギーン・バガバンディ外務大臣小渕恵三の会談に同席した際、バガバンディが「相撲をやめたら何をする? せっかく恵まれた環境にいるんだから、勉強した方がいい」[8]と述べたところ、小渕が「それなら早稲田でしょう」[8]と勧めたことがきっかけであった。なお、小渕の発言により早稲田大学に関心を持った旭鷲山は、2002年5月場所からスクールカラーに合わせたえんじ色のまわしを締めるようになった。
引退

2006年11月場所前、体調が優れず満足の行く相撲を取れなくなり病院で診察を受けたところ、虚血性心疾患と診断され、医師から「これ以上相撲を取り続けると命にかかわる」と言われた。このため、11月場所初日の相撲に敗れた後で大島に相談して、翌2日目(11月13日)に日本相撲協会へ引退届を提出した。しかし、これに前後して、大島部屋の玄関ドアのガラスが石で割られて空いた穴から催涙スプレーが投げ込まれていたり(11月9日)、部屋に無人の2トントラックが突っ込んでくる(11日)などの被害が生じていた[9]。2007年7月、旭鷲山に対する恐喝未遂の疑いで元指定暴力団住吉会系組長らが逮捕された。この際警察の事情聴取により、引退はこの事件も原因であったことが明らかになった[10]。引退の直因を暴力団問題の事例の一つとして取り扱う書籍においては、モンゴルの金鉱山開発利権を住吉系と関西系の暴力団へ二重に売却したことが問題になったと主張されていた[11]

2007年6月2日に両国国技館断髪式が行われた。冒頭では長男と相撲、断髪式には200人以上が参加し、最後に大島が止め鋏を入れた。海部俊樹元内閣総理大臣、平沢勝栄衆議院議員、上田清司埼玉県知事、藤岡弘池谷幸雄木下博勝ジャガー横田の夫で医師)、モンゴル関係者、旭道山、大関以上の各力士(直前の2007年5月場所で引退した栃東は欠席した)が断髪式に参加し髷に鋏を入れ、式の後、長女と旭鷲山の写真集にも参加した女優の土屋アンナから花束が贈呈された。
引退後

旭天鵬は将来親方になり後進を指導することを目指すため日本国籍を取得し帰化したが、旭鷲山は帰化をせずモンゴルへの帰国を明らかにしていたため、規定により相撲協会に残らなかった。永住権を返上して帰国し、実業家として建設、通信、貿易業などを手がける。

2008年6月の国民大会議(モンゴル国会)議員総選挙に野党民主党より出馬してトップ当選を果たした。2009年5月より、大統領特別補佐官を務めている。2010年に中国で行われたスポーツアコードワールドコンバットゲームズでは相撲の宣伝大使を務めた。2012年6月、2選を目指し再び国民大会議議員総選挙に民主党から立候補。民主党は与党人民党を破って第一党となり勝利したものの、旭鷲山は落選した[12]

大相撲八百長問題に際して、旭鷲山は地元紙のインタビューに「我々は八百長の存在を知っているし、理解できる民族。モンゴル相撲に八百長があることは、我々は知っている」とコメントし、モンゴル相撲では地元力士に勝った上位力士には「負けてあげればよかったのに」と、ファンから怒りの声が上がることもあると話している。旭鷲山は「日本人にとっては、国民をだましていたという論調になるので、今回は大きな事件になっている」と分析。自身の現役時代の八百長関与は否定し「今はモンゴル人力士を疑ってはいけない」と、力説していた[13]

髷がなくなって久しい2016年5月29日、両国国技館における公開形式の取組に約10年ぶりに出場した。同部屋同期の元関脇・旭天鵬の引退相撲において、旭天鵬の「最後の取組」の相手に指名される形で対戦。立合いで左上手を取り、土俵際まで寄り立てたが最後に逆転のうっちゃりを決められて黒星を喫した。現役時代のトレードマークでもあったワインレッドの締め込みとさがりを持参し、旭天鵬が用意した足袋を着用して土俵に上がり、館内を大いに盛り上げた[14]

2017年日馬富士貴ノ岩に対する暴行問題では「灰皿やカラオケのリモコンなどで40?50発殴られた。翌日病院へ行き、頭を縫いました。床山さんもうまく結えなかった」と、貴ノ岩から直接電話で聞いた暴行の内容を語った。朝青龍はこの証言を嘘だと完全否定、「貴ノ岩は絶対電話かかってこないはずなので、絶対嘘だとなっている。相撲協会にも話してない、親方もノーと言っているからなんでわざわざ旭鷲山こんな時に電話したのか?これは嘘だと(なっている)」と否定の理由について自ら話している。自身は「別に日馬富士を横綱(引退)どうのこうの言ってるんじゃなくて、できれば両方、仲良くさせて、日本の相撲協会に連れて行ってマスコミの前で両方謝って握手して」と、どちらかの肩を持つわけではなく両者の和解を願っているとした[15][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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