旭鷲山昇
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引退の直因を暴力団問題の事例の一つとして取り扱う書籍においては、モンゴルの金鉱山開発利権を住吉系と関西系の暴力団へ二重に売却したことが問題になったと主張されていた[11]

2007年6月2日に両国国技館断髪式が行われた。冒頭では長男と相撲、断髪式には200人以上が参加し、最後に大島が止め鋏を入れた。海部俊樹元内閣総理大臣、平沢勝栄衆議院議員、上田清司埼玉県知事、藤岡弘池谷幸雄木下博勝ジャガー横田の夫で医師)、モンゴル関係者、旭道山、大関以上の各力士(直前の2007年5月場所で引退した栃東は欠席した)が断髪式に参加し髷に鋏を入れ、式の後、長女と旭鷲山の写真集にも参加した女優の土屋アンナから花束が贈呈された。
引退後

旭天鵬は将来親方になり後進を指導することを目指すため日本国籍を取得し帰化したが、旭鷲山は帰化をせずモンゴルへの帰国を明らかにしていたため、規定により相撲協会に残らなかった。永住権を返上して帰国し、実業家として建設、通信、貿易業などを手がける。

2008年6月の国民大会議(モンゴル国会)議員総選挙に野党民主党より出馬してトップ当選を果たした。2009年5月より、大統領特別補佐官を務めている。2010年に中国で行われたスポーツアコードワールドコンバットゲームズでは相撲の宣伝大使を務めた。2012年6月、2選を目指し再び国民大会議議員総選挙に民主党から立候補。民主党は与党人民党を破って第一党となり勝利したものの、旭鷲山は落選した[12]

大相撲八百長問題に際して、旭鷲山は地元紙のインタビューに「我々は八百長の存在を知っているし、理解できる民族。モンゴル相撲に八百長があることは、我々は知っている」とコメントし、モンゴル相撲では地元力士に勝った上位力士には「負けてあげればよかったのに」と、ファンから怒りの声が上がることもあると話している。旭鷲山は「日本人にとっては、国民をだましていたという論調になるので、今回は大きな事件になっている」と分析。自身の現役時代の八百長関与は否定し「今はモンゴル人力士を疑ってはいけない」と、力説していた[13]

髷がなくなって久しい2016年5月29日、両国国技館における公開形式の取組に約10年ぶりに出場した。同部屋同期の元関脇・旭天鵬の引退相撲において、旭天鵬の「最後の取組」の相手に指名される形で対戦。立合いで左上手を取り、土俵際まで寄り立てたが最後に逆転のうっちゃりを決められて黒星を喫した。現役時代のトレードマークでもあったワインレッドの締め込みとさがりを持参し、旭天鵬が用意した足袋を着用して土俵に上がり、館内を大いに盛り上げた[14]

2017年日馬富士貴ノ岩に対する暴行問題では「灰皿やカラオケのリモコンなどで40?50発殴られた。翌日病院へ行き、頭を縫いました。床山さんもうまく結えなかった」と、貴ノ岩から直接電話で聞いた暴行の内容を語った。朝青龍はこの証言を嘘だと完全否定、「貴ノ岩は絶対電話かかってこないはずなので、絶対嘘だとなっている。相撲協会にも話してない、親方もノーと言っているからなんでわざわざ旭鷲山こんな時に電話したのか?これは嘘だと(なっている)」と否定の理由について自ら話している。自身は「別に日馬富士を横綱(引退)どうのこうの言ってるんじゃなくて、できれば両方、仲良くさせて、日本の相撲協会に連れて行ってマスコミの前で両方謝って握手して」と、どちらかの肩を持つわけではなく両者の和解を願っているとした[15][16]

現在はモンゴル相撲協会会長も務めている[17][18][19]。大統領補佐官も務めていたが、2017年11月30日に解任された[17][20]。大手ニュースサイト「ニュース・MN」は今回の解任と日馬富士の問題を関連付けて報じた[21]

2018年10月4日に貴ノ岩が日馬富士に対して損害賠償請求訴訟を起こすと、日馬富士の代わりに請求金額を支払うと発言して非難を浴びた[22][23]。10月30日に訴えが取り下げられた背景について、日馬富士引退を残念がっているモンゴル国民が2,400万円もの大金(モンゴルでは日本の10倍に値する)の請求に驚いてしまったと説明し、貴ノ岩の家族がバッシングにあったことは事実と述べている[24][25]。年功序列の考え方が強い国民性があり『先輩に対して裁判を起こすこと』は反感を抱かれることであるため、「貴ノ岩が2,400万円をもらってモンゴルに帰ってきたら、それ以上のことが起こる可能性があるから。彼は正解かなと思って。ここで自分からやめることは一番いい」と話している[26]
主な成績

通算成績:560勝601敗2休 勝率.482

幕内成績:408勝507敗2休 勝率.446

現役在位:89場所

幕内在位:62場所

三役在位:1場所(小結1場所)
[1]

三賞・金星

三賞:5回

殊勲賞:1回(2003年5月場所)

敢闘賞:2回(2005年5月場所、2006年3月場所)[1]

技能賞:2回(1997年1月場所、2002年5月場所)


金星:5個(1個、若乃花2個、武蔵丸1個、朝青龍1個)

各段優勝

十両優勝:2回(1995年7月場所、1996年3月場所)

幕下優勝:1回(1995年1月場所)

場所別成績

旭鷲山昇 一月場所
初場所(
東京) 三月場所
春場所(大阪) 五月場所


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