旧制高等学校
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また、7年制高等学校の多くはイギリスパブリックスクールに範を求めたため、バンカラの象徴であるマントと下駄の着用を禁じたり、学習院式のホック留め詰襟制服を定めたりした(東京・浪速・成蹊[注 11])。成城高校は旧制高校の中で、背広服ネクタイお釜帽子を制服にした唯一の学校である[注 12]。なお、戦後に共学化した一部の高校では、女子生徒は男子と同じ学生帽あるいは庇をなくした学生帽を被って通学した[8]

甲南高等学校と浪速高等学校には近在の学生が多かったことと、反体制運動の巣窟になることを学校側が危惧したことから寮設備が最後まで作られなかった。
旧制高等学校一覧

以下は、高等学校令により設置された高等学校の一覧である。旧制高等学校の設置数は旧制専門学校に比べて少なく、改正高等学校令で設置条件が緩和されたものの、廃止時点でも最終的な設置数は39校で、約350校あった旧制専門学校の9分の1程であった[注 13]
3年制高等学校
ナンバースクール旧制第四高等学校本館

学校名第一次高等学校令
(1894年)時代第二次高等学校令
(1919年)時代新制大学
第一高等学校(東京)大学予科(第一部、第二部、第三部)高等科(文科甲・乙・丙、理科甲・乙)東京大学教養学部
医学部(千葉)千葉医学専門学校として独立 (1901年)千葉医科大学を経て、千葉大学医学部
第二高等学校(仙台)大学予科(第一部、第二部、第三部)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)東北大学教養部[注 14]
医学部仙台医学専門学校として独立 (1901年)東北帝国大学医学部を経て、東北大学医学部
第三高等学校(京都)法学部1901年廃止-
工学部1901年廃止-
医学部(岡山)岡山医学専門学校として独立 (1901年)岡山医科大学を経て、岡山大学医学部
大学予科(第一部、第二部、第三部)(1897年設置)高等科(文科甲・乙・丙、理科甲・乙)京都大学教養部[注 15]
第四高等学校(金沢)大学予科(第一部、第二部、第三部)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)金沢大学法文学部理学部・教養部
医学部金沢医学専門学校として独立 (1901年)金沢医科大学を経て、金沢大学医学部
第五高等学校(熊本)大学予科(第一部、第二部、第三部)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)熊本大学法文学部・理学部
医学部(長崎)長崎医学専門学校として独立 (1901年)長崎医科大学を経て、長崎大学医学部
工学部(1897年設置)熊本高等工業学校として独立 (1906年)熊本大学工学部
第六高等学校(岡山)大学予科(第一部、第二部、第三部)(1900年)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)岡山大学法文学部[注 16]・理学部・教養部
第七高等学校造士館[注 17](鹿児島)大学予科(第一部、第二部、第三部)(1901年)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)鹿児島大学文理学部→同学法文学部理学部
第八高等学校(名古屋)大学予科(第一部、第二部、第三部)(1908年)高等科(文科甲・乙、理科甲・乙)名古屋大学教養部[注 18]

ネームスクール旧制松本高等学校旧制姫路高等学校本館旧制広島高等学校講堂
(現・広島大学附属中・高講堂)

設立年学校名新制大学
1886年山口高等学校[注 19]山口大学経済学部
1919年新潟高等学校新潟大学人文学部・理学部
1919年松本高等学校信州大学文理学部
1919年山口高等学校[注 20]山口大学文理学部
1919年松山高等学校愛媛大学文理学部
1920年水戸高等学校茨城大学文理学部
1920年山形高等学校山形大学文理学部


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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