旧制高等学校
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^ 3条の白線を採用したのは三高、五高、山口高、佐賀高、松江高、北大予科、台大予科である[12]
^ 四高は当初4条の白線を採用していたが、1919年に2条に改められた[13]
^ 武蔵では1946年に服装規定が廃止され、白線帽が見られるようになった[14]
^ 成蹊は1940年から白線帽とマントの着用を認めた[16]
^ 成城でも白線運動が起こり、戦中から戦後にかけて詰襟と白線帽姿の学生が多くなった[17]
^ 文部省『学制百年史 資料編』によると、1948年当時は官立28校、公立5校、私立6校の計39校が存在した[18]
^ 現:東北大学国際文化研究科・情報科学研究科
^ 現:京都大学総合人間学部
^ 現:岡山大学法学部文学部経済学部
^ 第七高等学校造士館は第二次世界大戦後に造士館の名を外し、廃校時には単に鹿児島大学第七高等学校であった。
^ 現:名古屋大学情報文化学部・教養教育院
^ 1886年明治19年)11月に、第一(東京)・第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校として山口市亀山地区に設立され、1894年に山口高等学校と改称(通称「旧旧山高」)したが、他府県出身者が多くを占めたため1905年山口高等商業学校に転換。
^ 1894年山口市亀山地区に開校した通称「旧旧山高」は1905年山口高等商業学校に転換されていたが、これとは別に1919年山口市糸米地区に改めて開校(通称「再興山高」)して学制改革を迎えた。
^ 新制神戸大学は神戸経済大学予科と姫路高等学校を包括したため、統合移転するまで教養部の教育は御影分校と姫路分校とにわかれておこなわれて、文理学部が御影分校にあった。また、1953年まで数学科が教育学部の赤塚山校舎にあった。
^ 現:広島大学総合科学部
^ 公立富山高等学校高等科を官立移管して1943年に開校。
^ 現:神奈川歯科大学神奈川歯科大学短期大学部
^ 現:東洋学園大学
^ 3・4年次のみ。1・2年次はA級判定され、徳島医科大学に昇格
^ 医学科のみ旧制高等学校へ転換。歯学科は福岡県立歯科医学専門学校を経て新制九州歯科大学に。
^ 東京高等学校尋常科は1948年に東京大学附属学校に改組された。翌年、東京大学に教育学部が創設され、同附属学校は1951年、「東京大学教育学部附属中学校・高等学校」が正式名称となった。その後、2000年4月1日に東京大学教育学部附属中等教育学校に移行した。
^ 1943年に高等科を官立に移管、尋常科は「富山県立高等学校」と改称、募集停止して1946年に閉校。
^ 1943年(昭和18年)7月1日、東京都制が施行され、東京府と東京市を統合する形で東京都が設置された。これに伴い「都立高等学校」に改称された。
^ 2005年の首都大学東京への再編を経て、2020年より再び東京都立大学となる。
^ 1948年に都立高等学校は、高等科が他の旧制都立学校とともに東京都立大学となり、尋常科は都立新制高等学校に改組された。1950年に東京都立大学附置学校となり、同年東京都立大学附属高等学校と改称した。2005年、東京都の学校改革により、東京都立大学は「都立大学」ではなくなったため、制度上は東京都立大学の附属校ではなくなった。定時制は同年度限りで閉科し、全日制の課程も実質的に2006年度に新設された東京都立桜修館中等教育学校へ吸収され、2010年度に閉校した。
^ ただし、山梨県立高校と福岡県立高校のみが、1948年度入学者が卒業する1951年度まで存続した。

出典^ “「近代数学」 と学校数学 (その2)旧制高等学校の数学”. www.kurims.kyoto-u.ac.jp. www.kurims.kyoto-u.ac.jp. 2022年1月27日閲覧。
^ 『事典 昭和戦前期の日本』 387頁。
^ 学習院高等科ニ適用スヘキ規程ニ関スル件(大正10年4月23日皇室令第4号)
^ a b 『旧制高校物語』 88頁。
^ a b 『旧制高校物語』 90頁。
^ 『ふたりの昭和史』 pp.184-185
^ a b 大島宏「女子に対する旧制高等学校の門戸開放 敗戦後における制度化の過程を中心として」『日本の教育史学』、教育史学会、2004年10月1日、109-128頁、doi:10.15062/kyouikushigaku.47.0_109、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 0386-8982、NAID 110009688117。 
^ a b 『旧制高校物語』 229-236頁。
^ 旺文社編『昭和23年度受験生必携 全國上級學校年鑑』 1947年11月発行、20-21頁
^ 『旧制高校物語』 245-251頁。
^ 『学歴貴族の栄光と挫折』 78頁
^ 熊谷晃 『旧制高校の校章と旗』 えにし書房、2016年、13頁
^ 『旧制高校の校章と旗』 31頁
^ 『旧制高校の校章と旗』 121-122頁
^ 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、1986年、977頁
^ 『成蹊学園百年史』 589-590頁

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