講和条約の中で日本の朝鮮半島における権益をロシアが認め、ロシア領であった樺太の南半分が日本に割譲された。また日本はロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権、東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も獲得した。しかし賠償金を獲得するには至らず、戦後に外務省に対する不満が軍人や民間人などから高まった。
戦争目的と動機戦場全域の俯瞰図
大日本帝国の動機
大日本帝国[注釈 4]はロシア帝国の南下政策による勢力圏拡大を防ぎ朝鮮半島・満洲における利権を守ることで大日本帝国の安全保障[8]や利益を確保し、進んでは満洲・樺太・沿海州等における日本の勢力拡大ないしロシア側からの利権奪取を主な目的とした[9][10]。また、後の講和時の日本側代表による交渉姿勢[11]や日本国民の反応[12]からは、勝ち戦となった以上は賠償金取得を期待していたことが窺える。
開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』では、満州での勢力拡大により大韓帝国の保全が脅かされることが日本の安全保障上・極東平和への脅威となったことを戦争動機に挙げている。他方、2月10日の開戦の詔勅に続くはずだったとみられる詔勅草案もあり、ここでは信教の自由を強調し開戦の不幸を強調している[13]。
朕先に、憲法の条章に由り、信教の自由を保明せり。汝有衆、各々自らその信依する所を選み、之に案ずるを得ると共に、また、よく他の言依する所を尊重し、互いに相犯すなきを要す。
此の次、不幸にして露国と釁端を開けり。朕が平素の志に違い、戦を宣するに至りたるの事由は、朕既に業に之を示せり。事少しも宗教と相関せず、朕が信教に対する一視同仁は、更に平時に薄ることあるなし。汝有衆、よく朕が意を体し、信仰帰依の如何を問わず、互いに相親み相愛し協力同心以て、朕が意を空うするなきを期せよ。
ロシア帝国の動機
ロシア帝国は満洲および関東州の租借権・鉄道敷設権などの利権の確保、満洲還付条約不履行の維持(満洲に軍を駐留)、朝鮮半島での利権拡大における半島支配と日本による抵抗の排除、直接的には日本側からの攻撃と宣戦布告を戦争理由とした。
戦争の性格
日露戦争は20世紀初の近代総力戦の要素を含んでおり、また2国間のみならず帝国主義(宗主国)各国の外交関係が関与したグローバルな規模をもっていた。 日本側ロシア側 ロシア帝国 大韓帝国(高宗をはじめとする支配者階級(王族と両班)とロシア利権を持つ親露派) イギリス帝国(日英同盟) フランス(露仏同盟) ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世は黄禍論者であったことからロシア寄りであったが、ロシアがドイツと対立を続けているフランスの同盟国ということもあり、国家としては具体的な行動は行っていない。後に皇帝同士で結んだ「ビヨルケの密約」は、戦争の勝敗が決定的になった後に結ばれている。 日露両陣営には欧米と南米諸国から数多くの観戦武官が派遣されていた。日本側には13か国から合計70名以上が来訪しており、その国籍はイギリス、アメリカ合衆国、ドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア、スイス、スウェーデン、ブラジル、チリ、アルゼンチン、オスマン=トルコであった。
関与国・勢力
戦争参加国・勢力
モンテネグロ公国(ただし宣戦布告はしたが、戦闘には参加せず)
支持勢力
同盟国・支援国
大韓帝国(日韓議定書)
大清帝国
(厳正中立を宣言していたが、ロシアの事実上の植民地となっている東三省を回復すべく暗に協力したとの説あり[14][15]。袁世凱は配下の北洋軍閥を用いて諜報や馬賊隊編成などで日本に協力、諜報将校を日本軍の特別任務班に派遣)
大清帝国(露清密約、開戦後同年5月18日に破棄。張作霖など一部の馬賊は協力)