日野草城
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この犀星の賛辞をきっかけにして中村草田男が『新潮』誌上で「ミヤコホテル」を批判する文章を発表、これに草城自身が反駁し、『新潮』『俳句研究』で「ミヤコホテル論争」と言われる論戦に発展した[3]

1935年、東京の「走馬燈」、大阪の「青嶺」、神戸の「ひよどり」の三誌を統合し、「旗艦」を創刊・主宰。「ホトトギス」除名後は無季俳句を積極的に唱導、自らもエロティシズムや無季の句をつくり新興俳句の主導的役割を担う。戦後の1946年肺結核を発症、1949年に退職して以後の10数年は病床にあり、これまでの新興俳句とは別種の静謐な句をつくった。1949年「青玄」創刊、主宰。1951年、緑内障により右目を失明。死の前年の1955年には虚子に許されて「ホトトギス」同人に復帰した。1956年、心臓衰弱のために死去。慶伝寺(大阪市天王寺区)に眠る。命日の1月29日は「草城忌」として季語に数えられる。
作風・評価

代表句に、

春暁や人こそ知らね木々の雨(第一句集『花氷』1937年)

春の灯や女は持たぬのどぼとけ(同)

ものの種にぎればいのちひしめける(同)

ところてん煙の如く沈み居り(同)

高熱の鶴青空に漂へり(第七句集『人生の午後』1953年)

夏布団ふわりとかかる骨の上(同)

見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く(同)

など。「ホトトギス」の沈滞期に若々しく新鮮な感性を持って登場し、同誌ではのちの「4S」の先駆けとも言える役割を果たした[4]。初期の句は写生の基礎をしっかりとふまえつつ、華美な作品世界を構築、「ホトトギス」離脱以降は自ら無季俳句や連作俳句によって現代の世相やフィクションを取り入れた句を積極的に作り、病を得て以降は一転して穏やかな日常のなかに見出す喜びや悲しみを詠んだ[5]山本健吉は草城を「極端な早熟型の極端な晩成型」と評し、初期・中期に対して後期の作品を評価している[6]

「ところてん」は1922年作。鈴鹿野風呂らと俳句の夏稽古をした際、野風呂にふるまわれて初めてところてんを眼にした草城は、たちどころにこの句を含む20句ばかりの「ところてん」の句を作り野風呂を驚かせた[7]。「高熱の鶴」は、それまで草城を「でれ助」呼ばわりしていた神田秀夫にその評価を一転させた句で、この句にちなんで草城の忌日は凍鶴忌とも呼ばれる[8]。「見えぬ眼の」は片目を失ってから作られたもので、草城の無季句の代表作。この句は草城の死後、門下によって豊中服部緑地公園に立てられた草城の句碑に、「春暁や」の句のほか3句とともに刻まれている。建立の際には川柳性を云々して反対する委員もおり、この句を入れるかどうかで議論が紛糾したが、草城の追悼文で山口誓子が称揚したことが決め手となったという[9]
著書
句集

『草城句集(花氷)』(京鹿発行所
、1927年)

『青芝』(京鹿発行所、1932年)
改定縮刷本『青芝』(宝書房、1947年)

『昨日の花』(龍星閣、1935年)

『轉轍手』(河出書房、1938年)

『青玄』(自選句集)(三省堂、1940年)

『旦暮』(星雲社、1949年)

『自選句集日野草城集』(現代俳句社、1950年)

『人生の午後』(青玄俳句会、1953年)

『草城三百六十句』(自選句集)(草城句集刊行会、1955年)

句文集など

『新航路』(句文集)(第一書房、1940年)

『展望車』(句文集)(第一書房、1940年)

『微風の旗』(評論・随筆)(羽田書房、1947年)

『新月』(長編小説)(邑書林、1991年)

出典・脚注^ 神陵俳句会→京大三高俳句会という流れで語られるのは、草城自身の記した『俳句文学全集 日野草城篇』(1937 第一書房)「年譜」中の記述を踏まえたものと考えられているが、「ホトトギス」大正8年10月号の岩田紫雲郎報「京大神陵俳句会」、同大正9年4月号の草城による?子歓迎句会報中にある「私達でやつてゐる京大三高俳句会」という記述などを勘案したうえで、「京大神陵俳句会は結成間もなく、自然に京大三高俳句会と呼ばれるやうになつてゆく」(島田牙城 『俳句の背骨』p146-147 2017 邑書林)という異説も出されている。
^ 秋尾敏「 ⇒水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧。 
^ 『現代俳句ハンドブック』、212-213頁
^ 『日野草城』 152頁
^ 『現代俳句大事典』 469頁
^ 『定本 現代俳句』 164頁
^ 『日野草城』 11頁
^ 『日野草城』 116頁
^ 『日野草城』 156頁

参考文献

伊丹三樹彦 『日野草城』 蝸牛俳句文庫、1994年

坂口昌弘『ライバル俳句史』文學の森

齋藤慎爾坪内稔典夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年

山本健吉 『定本 現代俳句』 角川書店、1998年

金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年

稲畑汀子大岡信鷹羽狩行編 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年

関連文献

伊丹啓子『日野草城伝』 沖積舎、1997年

外部リンクポータル 文学

広報いけだ「日野草城生誕100年」

モダニスト草城 - 俳人目安帖

現代俳句人名事典 日野草城の句

増殖する俳句歳時記 日野草城の句

「豊中ゆかりの俳人である、日野草城に関する資料はあるか。」 - レファレンス協同データベース

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