日蓮
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^ 御成敗式目 第十二条  一、悪口咎の事    右、闘殺の基(もとひ)は悪口より起る。その重き者は流罪に処せされ、その軽き者は召し籠めらるべきなり。問注(=裁判)の時悪口を吐けば、則ち論所 (=争点の領地)を敵人に付けらるべし。また論所の事、その理無き者は、他の所領を没収せらるべし。もし所帯なき者は、流罪に処せられるべきなり。(惡口咎事)右鬪殺之基起自惡口、其重者被處流罪、其輕者可被召籠也、問注之時吐惡口、則可被付論所於敵人、又論所事無其理者、可被沒收他所領、若無所帶者、可處流罪 也
^ 本尊問答抄「生年十二、同じき郷の内、清澄寺と申す山にまかり登り住しき」
^ 報恩抄「各々二人は日蓮が幼少の師匠にておわします」
^ 破良観御書「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給え。十二のとしよりこの願を立つ」
^ 報恩抄「我、八宗十宗に随わじ」
^ 清澄寺大衆中「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりしことありき。『日本第一の智者となし給え』と申せしことを不便とや思しめしけん、明星の如くなる大宝珠を給びて右の袖にうけとり候いし故に、一切経を見候いしかば、八宗並びに一切経の勝劣ほぼこれを知りぬ」、善無畏三蔵抄「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云わく『日本第一の智者となし給え』と云々。虚空蔵菩薩、眼前に高僧とならせ給いて、明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき。そのしるしにや、日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱、ほぼ伺い侍りぬ」
^ 妙法比丘尼御返事「鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々、あらあら習い回り候いしほどに」、破良観等御書「その後、叡山・園城・高野・京中・田舎等、処々に修行して自他宗の法門をならいしかども」
^ 清澄寺大衆中「禅宗・浄土宗なんどと申すは、またいうばかりなき僻見の者なり。これを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日、安房国・東条郷・清澄寺・道善の房・持仏堂の南面にして、浄円房と申す者、並びに少々の大衆にこれを申しはじめて、その後二十余年が間、退転なく申す」)、聖人御難事「去ぬる建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に安房国長狭郡の内、東条郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。この郡の内、清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時にこの法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年[太歳己卯]なり」
^ 上野殿御返事「この南無妙法蓮華経に余事をまじえば、ゆゆしきひが事なり」
^ 報恩抄「各々二人は日蓮が幼少の師匠にておはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしがかへりて御弟子とならせ給いしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、かくしおきてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり。後生は疑いおぼすべからず」
^ 「世皆正に背き、人ことごとく悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還りたまわず。これをもって魔来たり鬼来たり、災い起こり難起こる」、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」
^ 豊臣義俊『法華霊場記』1686年。なおこの法難の月日については「弘長元年(1261年)5月12日」とする説もある[29]
^ 「法門のことは、さどにながされし已前の法門はただ仏の爾前の経とおぼしめせ」
^ 日興門流ではこのことを発迹顕本〈仮の姿を払って本地を顕すこと〉と称している[48]
^ 「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主師親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒外内これなり」
^ 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
^ 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」
^ 「去ぬる文永十一年[太歳甲戌]十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに、宗総馬尉逃げければ、百姓等は男をばあるいは殺し、あるいは生け取りにし、女をばあるいは取り集めて手をとおして船に結い付け、あるいは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせてもまたかくの如し。船おしよせて有りけるには奉行入道豊前前司は逃げて落ちぬ。松浦党は数百人打たれ、あるいは生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し」
^ 富木尼御前御返事「当時つくし(筑紫)へむかえば、とどまるめこ(妻子)、ゆくおとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐがごとく、かお(顔)とかおとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはま(由比浜)・いなぶら(稲村)・こしごえ(腰越)・さかわ(酒匂)・はこねさか(箱根坂)、一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとおざかる。あゆみをかわ(川)も山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり。ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこ(蒙古)のつわもの(兵者)せめきたらば山か海もいけどりか、ふねの内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあわん」
^ 「闘諍堅固の時、日本国の王臣と並びに万民等が、仏の御使いとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、あるいは罵詈し、あるいは悪口し、あるいは流罪し、あるいは打擲し、弟子・眷属等を種々の難にあわする人々、いかでか安穏にては候べき。(中略)蒙古のせめも、またかくのごとくなるべし」「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」
^ 「いまにしもみよ、大蒙古国、数万艘の兵船をうかべて日本をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経』と唱え、掌を合わせて『たすけ給え、日蓮の御房、日蓮の御房』とさけび候わんずるにや」「大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし」
^ 「かの白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、その国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱うるがごとく、広宣流布せさせ給うべきなり」
^ 曾谷殿御返事「今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ」
^ 聖人御難事「彼のあつわらの愚癡の者ども、いゐはげましてをどす事なかれ」
^ 聖人御難事「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり」
^ 聖人等御返事「今月十五日[酉時]御文、同じき十七日[酉時]到来す。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云々。ひとえに只事に非ず」。処刑の日づけについては異説もある。
^ 「今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん 但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ…」(撰時抄)
^ 兵衛志殿御返事「去年の十二月の三十日よりはらのけの候いしが、春夏やむことなし。あきすぎて十月のころ、大事になりて候いしが、すこして平愈つかまつりて候えども、ややもすればおこり候」
^ 八幡造営事「たとい十に一、今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき」
^ 上野殿母御前御返事「日蓮は所ろうのゆえに人々の御文の御返事も申さず候」
^ a b 寺伝による。
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