日蓮
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^ 「法門のことは、さどにながされし已前の法門はただ仏の爾前の経とおぼしめせ」
^ 日興門流ではこのことを発迹顕本〈仮の姿を払って本地を顕すこと〉と称している[48]
^ 「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主師親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒外内これなり」
^ 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
^ 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」
^ 「去ぬる文永十一年[太歳甲戌]十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに、宗総馬尉逃げければ、百姓等は男をばあるいは殺し、あるいは生け取りにし、女をばあるいは取り集めて手をとおして船に結い付け、あるいは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせてもまたかくの如し。船おしよせて有りけるには奉行入道豊前前司は逃げて落ちぬ。松浦党は数百人打たれ、あるいは生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し」
^ 富木尼御前御返事「当時つくし(筑紫)へむかえば、とどまるめこ(妻子)、ゆくおとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐがごとく、かお(顔)とかおとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはま(由比浜)・いなぶら(稲村)・こしごえ(腰越)・さかわ(酒匂)・はこねさか(箱根坂)、一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとおざかる。あゆみをかわ(川)も山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり。ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこ(蒙古)のつわもの(兵者)せめきたらば山か海もいけどりか、ふねの内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあわん」
^ 「闘諍堅固の時、日本国の王臣と並びに万民等が、仏の御使いとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、あるいは罵詈し、あるいは悪口し、あるいは流罪し、あるいは打擲し、弟子・眷属等を種々の難にあわする人々、いかでか安穏にては候べき。(中略)蒙古のせめも、またかくのごとくなるべし」「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」
^ 「いまにしもみよ、大蒙古国、数万艘の兵船をうかべて日本をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経』と唱え、掌を合わせて『たすけ給え、日蓮の御房、日蓮の御房』とさけび候わんずるにや」「大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし」
^ 「かの白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、その国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱うるがごとく、広宣流布せさせ給うべきなり」
^ 曾谷殿御返事「今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ」
^ 聖人御難事「彼のあつわらの愚癡の者ども、いゐはげましてをどす事なかれ」
^ 聖人御難事「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり」
^ 聖人等御返事「今月十五日[酉時]御文、同じき十七日[酉時]到来す。彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云々。ひとえに只事に非ず」。処刑の日づけについては異説もある。
^ 「今現証あるべし日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとおもひ候なん 但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ…」(撰時抄)
^ 兵衛志殿御返事「去年の十二月の三十日よりはらのけの候いしが、春夏やむことなし。あきすぎて十月のころ、大事になりて候いしが、すこして平愈つかまつりて候えども、ややもすればおこり候」
^ 八幡造営事「たとい十に一、今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき」
^ 上野殿母御前御返事「日蓮は所ろうのゆえに人々の御文の御返事も申さず候」
^ a b 寺伝による。
^ この書は、地震洪水飢饉疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府が主に法然念仏をはじめとする邪法を信仰することにあるとし、仏教経典を根拠に、正法たる法華経を立てなければ自界叛逆難、他国侵逼難などの災いが起こると説かれている。
^ 刀が段々に折れるという怪異が発生し中止された、という伝説もあるが、日蓮は「種種御振舞御書」に、「江の島のかたより月のごとく光たる物まりのようにて、辰巳の方より戌亥の方へ光渡」り、その結果「太刀取・目くらみたおれ臥し・兵共おぢ怖れる」としている。
^ 日蓮正宗では、日興一人だけが後継者に定められたとしている。詳細は「二箇相承」を参照
^ 死去の際、大地が震動し晩秋から初冬にかけての時期にもかかわらずの花が咲いたと伝えられ、日蓮門下の諸派ではお会式の際に仏前に桜の造花を供える習わしとなっている。
^ 御義口伝「戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり」
^ 法華取要抄「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」
^ 曽谷入道殿許御書「大覚世尊以仏眼鑒知於末法 為令対治此逆謗二罪 留置於一大秘法」と「此四大菩薩釈尊成道之始不来寂滅道場之砌。如来入滅之終不至抜提河之邊。加之霊山八年之間進迹門序正之儀式不列文殊・弥勒等発起影向之諸聖衆。退本門流通之座席不交観音・妙音等発誓弘経之大士。但持此一大秘法隠居於本拠之後 仏滅後於正像二千年之間未一度出現」
^ 曾谷入道殿御返事「妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり。さにては候はず、体なり。体とは心にて候」
^ 法華経題目抄「一部・八巻・二十八品を受持・読誦し随喜・護持等するは広なり。方便品・寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。ただ一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり。広略要の中には題目は要の内なり」
^ 「問所説要言之法者何物耶。答云夫釈尊初成道の初より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立て、略開近顕遠を説せ給し涌出品まで、秘せさせ給実相証得の當初修行し給し處の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字也」
^ 「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」
^ 教機時国抄「日本国の当世は、如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。是れ時を知れるなり」
^ 教機時国抄「日本国は一向大乗の国なり。
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