幕府の許可を得た水野忠徳及び同目付永井尚志が同年10月14日(嘉永7年8月23日)、日英和親条約に調印した。スターリングは外交交渉を行う権利は有しておらず、かつ本国からの指示も受けていなかった。しかし、日本の北方でロシア海軍との交戦を行うためには、日本での補給を可能にすることには大きなメリットがあり、本国も追認した。
日本は先の日米和親条約で米国に下田と箱館の開港を認めていたが、この条約では長崎と箱館をイギリスに開放(条約港の設定)し、薪水の供給を認めた。また、犯罪を犯した船員の引き渡しや、片務的最恵国待遇などの規則も定められた。ただし通商規定(領事派遣の規定)は無く、加えて、条約港に来航したイギリス船は日本法に従うことが義務付けられた。これに香港総督ジョン・ボウリングは異論を挟んだが、清国との関係悪化によって妥結した。
その後、ロシアやオランダとも同様の和親条約が締結され、1858年にはエルギン伯爵ジェイムズ・ブルースが来日して五港開放や貿易とイギリス人の居住を認める日英修好通商条約が締結される。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 日露和親条約交渉のためエフィム・プチャーチンが4隻の艦隊を率いて入港中であった。
^ 他に、エンカウンター(スクリューコルベット)、スティックス、バラクータ(共に外輪スループ)。
^ 幕府はペリーに次回の交渉時には長崎に行くように伝えていた。
^ スターリングは同年3月に日米和親条約が締結されたことを米海軍より入手していたが、外交交渉は任務に含まれていなかった。
出典^ “日本國大不列顛國約定(日英和親条約)”. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所. 2021年12月18日閲覧。
参考文献
多田好問『岩倉公実記』、1906年 - ウィキソース
Great Britain and the Opening of Japan, 1834-1858 by W.G. Beasley (Japan Library paperback, 1995, first published by Luzac & Co., 1951) ISBN 1873410433
James Stirling: admiral and founding governor of Western Australia by Pamela Statham-Drew (University of Washington Press (June 2003)) ISBN 978-1876268947
石橋隆幸「国立国会図書館デジタルコレクション 日英交流150周年扉が開いたその時」『ながさき経済. 2004年(10月)(180)』(pdf)長崎経済研究所、2004年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8225124/1 国立国会図書館デジタルコレクション。
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Anglo-Japanese Friendship Treaty
不平等条約
日米和親条約
日露和親条約
日蘭和親条約
外部リンク
⇒甲斐素直 歴史随筆 維新の風雲財政録 幕末編
『日英和親条約』 - コトバンク