日系ブラジル人(にっけいブラジルじん)は、両親の一方もしくは両方が日本人にルーツを持つブラジル人、または、日本国籍を持っていたがその後ブラジルに帰化した人物を指す。
ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年(明治41年)以降の約100年間で約26万人の日本人がブラジルに移住し[12]、現在約200万人以上の日系人が住む[14][8][9][10][11]。1970年代に移民船による集団移民が終わったことを受けて日本国籍を有する一世は希少である。ブラジルへの日本国公認の移民はその後も1993年まで続いた。
他方、20世紀末から在伯日本人・日系ブラジル人が日本に永住帰国あるいは移住した。在日ブラジル人は2000年代中頃まで顕著に増加し、2019年度の日本政府の発表では208,857人である(この中には日本国籍を持つ者、移住後に日本国籍を取得した者は含まれない)[8]。2008年秋のリーマンショック以降、日本国内の不況を受けて製造業の雇用が減ったことから毎月1万人程のブラジル人が減少し、2011年時点では既に多くがブラジルに戻ったが、2012年に入り、再び日本への移住希望者が増え始めた。
2008年(平成20年)は、日本人移民100周年を記念し、日本ブラジル交流年と制定され、両国で様々な催しが行われた。パラナ州ロンドリーナ市の式典では皇太子徳仁親王を迎えて組体操が披露されたが、演技者のほとんどが非日系人であった。
年表
1803年:陸奥国出身の津太夫や善六ら5名が初めてブラジルに上陸した日本人となる[15]
1892年:ブラジル政府が日本人移民の受け入れを表明
1895年:日伯修好通商航海条約締結
1908年:正式移民開始(「笠戸丸移民」)
1915年:初の日本人学校「大正小学校」開設
1917年:海外興業株式会社設立
1919年:初の農業組合である日伯産業組合が設立
1929年:ブラジル拓植組合設立
1938年:ヴァルガス大統領が移民同化政策を開始
1941年:日本人移民受け入れ停止
1942年:日伯国交断絶
1945年:第二次世界大戦においてブラジルが日本に宣戦布告
1951年:日伯国交回復
1953年:日本人移民受け入れ再開
1954年:日系ブラジル人2世の田村幸重が連邦議員に就任
1969年:日系ブラジル人2世のファビオ・ヤスダ(安田良治)(ポルトガル語版)が商工大臣に就任
1973年:移民船による移民廃止
1980年:サンパウロ市議会「日本人移民の日」を制定(6月18日)
1989年:日本の出入国管理法が改正、日系ブラジル人就労者の受け入れ開始
2008年:日本人移民100周年(日本ブラジル交流年)
歴史
労働者不足の解消