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出典検索?: "日米スパコン貿易摩擦"
日米スパコン貿易摩擦は、日本メーカー製のスーパーコンピュータの対米輸出において、数々の米政府筋からの圧力があった、等といった一連の衝突事案のことを指す語である。この記事では、1985年のアメリカ大気研究センターへの導入キャンセル、1987年のマサチューセッツ工科大学 (MIT) への導入キャンセル、1996年のNEC SXシリーズへのスーパー301条の発動、といった、日米貿易摩擦ないし特に「日米ハイテク摩擦」を背景に起きた、主としてスパコン対米輸出に関するアメリカの貿易障壁問題やそれに関わる一連の経過について述べる。
経緯
IBM産業スパイ事件「IBM産業スパイ事件」を参照
スパコンと直接は無関係だが、スパコン摩擦と同じ日米ハイテク摩擦という流れの中でコンピュータに関連する事件として、1982年に「IBM産業スパイ事件」があった。 1985年、アメリカ大気研究センター(NCAR)の入札に、日本からの応札は日立製作所(S-810)、日本電気(SX-2)、富士通(VP-100/200)。NECが落札したが、議会の圧力により撤回され、Cray-2に変更された。 1987年、MITの入札に、日本からの応札は富士通のVPシリーズ、NECのSXシリーズ。米国からはCray、コントロールデータ。日本の会社が落札したが、決定直後に政府関連から圧力がかかり、キャンセルされた。 1980年代の、いわゆる「日米ハイテク摩擦」としては、(水面下の事案はともかく)以上が大きく表沙汰となった件である。 以前より、メインフレーム分野では日本電気のACOSは、富士通のFACOMと日立のHITACに水をあけられていたことから、スーパーコンピュータのSXシリーズは日本電気が注力していた分野であった。 さらに日本電気はVシリーズでマイクロプロセッサにも比較的早く手を付けており、Vシリーズ以外ではMIPS系のVR3000やACOS用のNOAHプロセッサで高性能機のCMOS化への目処のついた日本電気は、SX-4でSXシリーズもCMOS化した。ECLからCMOSへの移行によりサイクルタイムは当然伸びたものの、発熱の低下は、水冷から空冷への移行によるコスト低下と実装密度の向上をもたらし、コストパフォーマンスは向上した(詳細はNEC SX#SX-4)。さらにSX-3からであるが、OSのSUPER-UXへの移行などもあり(Unix系への移行それ自体は、クレイのUNICOS、日立はHI-OSF/1-MJ、富士通UXP[1]といったように当然の潮流であり、何ら日本電気が特別なわけではない)使いやすさも向上させた。 また外部要因として、富士通はVPP5000(1999年)まではベクトル機を続けたものの日立はスカラ機への移行中であった(1992年のHITAC S-3000シリーズが最後のベクトル機)、といった複数の要因から、1994年11月に発売されたSX-4は成功機となり、SXシリーズでそれまでの最大の販売数を記録した。 同じ頃米国では、クレイ社が危機にあった。1985年のCray-2はSX-2(1983年)よりも速く、成功したクレイであったが、Cray-3の開発は難航し、同機はクレイ氏とともにクレイ社を離脱した。クレイ社は、Y-MP(1988), C90(1991), T90(1995) とベクトル機を続けるとともに、T3D(1993), T3E(1995)とスカラ機への移行も進めていたが、いずれもあらゆる周辺の流れに対抗するのに苦しかった。 周辺状況についてはクレイに限らず前述の日本勢も基本的に同じであるわけだが、前の節までの1980年代から10年近くの間に、ハイエンドのスーパーコンピュータが置かれている状況も大きく変化していた。1980年代中盤から台頭したミニスーパーコンピュータの高性能化が1990年頃にはハイエンド機をおびやかし、それに続けて高性能RISCプロセッサによる高性能なワークステーションがその両方の市場をも圧迫するようになっていたのである。 結局クレイは、1996年にSGIに吸収されるという結果となったが、以下は主にそれまでの間にあったこと、となる。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}クレイ社は、アメリカ国内のスパコン調達案件において連敗を続けたため、NECがスパコンをダンピングしていると議会に呼びかけ、大規模なロビー活動を始めた。[要出典] 実際には、日本政府がNECに補助を施したとか、ダンピングであるとする主張は全く根拠が無く言いがかりとしかいえないレベルのものであった。
1985年のNCAR導入キャンセル事件
1987年のMIT導入キャンセル事件
1996年のスーパー301条発動問題
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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