日立製作所
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1946年:昭和天皇が日立製作所海岸工場に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[20]。
1947年:小平浪平が公職追放指定され社長を辞任。後任に倉田主税が就任。
1951年:小平浪平が公職追放指定解除を受け相談役に就任。同年10月死去。
1954年:国産第1号の大型ストリップミル完成。
1956年:日立金属、日立電線分立。
1958年:6石トランジスタ超小型ポータブルラジオを開発。
1959年
トランジスタ電子計算機「HITAC 301」を開発。
国鉄と共に開発の座席予約システムMARSの初号モデルMARS1が完成。
1961年:全自動洗濯機を開発。
1963年:日立化成工業(現在:日立化成)分立。
1964年:東京モノレール羽田線向け車輌を製造。
1969年:日立建設機械製造(現在:日立建機)分立。
1970年:世界初の列車運行管理システム(PTC)「新幹線運行管理システム(COMTRAC)」の開発に成功。
1977年:新型転換炉原型炉「ふげん」竣工。
1979年:大型汎用コンピュータ「HITAC M-200H」を開発。
1983年:御茶の水駅前に地上20階地下3階建ての本社ビル竣工。新丸ノ内ビルヂング内から本社を移転。
1984年:256kビットDRAMの量産開始。
1989年:DDIセルラーグループ(現在:KDDI au)にTACS方式の携帯電話HP-401を供給。
1990年:大型汎用コンピュータ「HITAC M-880プロセッサグループ」を開発。
1991年:創業81年を機にロゴマークを一新。
1995年
日立家電を吸収合併。
デジタル衛星放送用の暗号アルゴリズム「MULTI2」を開発。
IDO(日本移動通信)(現在:KDDI au)にPDC方式の携帯電話D317を供給。
1996年:次世代型列車運行管理システムATOSをJR東日本と共同で開発。
1997年:DVD-RAM(記憶容量4.7ギガバイト)の基本技術開発に成功。
1999年
事業グループを再編し、カンパニー制を導入。
NECとの合弁会社「NEC日立メモリ」(現在:マイクロンメモリジャパン)を設立。
2000年:LG電子との合弁会社、日立LGデータストレージを設立。
2001年
7月1日:富士電機および明電舎との共同出資により日本AEパワーシステムズを設立[21]。
2002年
産業機器グループを分離、日立産機システム創業。
家電グループを分離、日立ホーム&ライフソリューション(現在:日立グローバルライフソリューションズ)創業。
0.3mm角の非接触ICチップ「μチップ」を開発。
2003年
1月1日:IBMのハードディスク事業部門を買収し、日立グローバルストレージテクノロジーズを設立。
4月1日:三菱電機との合弁会社「ルネサステクノロジ」を設立。
2004年
4月1日:カシオ計算機との合弁会社「カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」を設立。
6月:監督と執行の分離を徹底する委員会等設置会社に移行。
10月1日:オムロンとの合弁会社日立オムロンターミナルソリューションズと日本電気との合弁会社アラクサラネットワークスを設立。
愛知万博での日立グループパビリオン
2005年
愛知万博に出展。
2006年
本社を日本生命丸の内ビル内に移転。
KDDI auにワンセグ対応としては2番目の携帯電話W41Hを供給。
2007年
小型モータを扱っている連結子会社の日本サーボの株式を日本電産(現・ニデック)への売却を発表。
8月:世界初のフルハイビジョンBlu-ray Discビデオカメラ「BDカムWooo」と8cmのBD-R、REメディアを発売。
10月:個人向けパソコンからの撤退を発表。
2008年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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