日立製作所
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グループ全体のコーポレート・ステートメントは「Inspire the Next」(インスパイアー・ザ・ネクスト)[17]
特徴
経営

小平浪平の創業の精神は「和・誠・開拓者精神」で、「正直なれ」を生涯のモットーとした。企業理念は「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」となっている。「技術の日立」にふさわしく、創業者・小平浪平以降、歴代の社長は全て技術畑出身である。

意思決定の迅速化、経営の透明性向上を目的として、日立製作所は2004年より委員会設置会社に移行した。日立グループの上場企業も順次移行している。

2009年4月、業績悪化の責任をとり、取締役会長の庄山悦彦と代表執行役執行役社長の古川一夫が退任し、元副社長で日立マクセル(現・マクセル)、日立プラントテクノロジーの取締役会長、元日立ソフトウェアエンジニアリング代表執行役の川村隆が代表執行役執行役会長兼執行役社長に就任。同時に、グループ会社に転出していた元副社長3名も副社長に復帰し、経営改革が進められた。

2009年ごろまでは、優良上場子会社が多く連結決算における少数持分利益が多額であった。そのため連結営業利益は数千億円の黒字でも最終利益は100億円程度の黒字もしくは赤字となることが多かったが、経営改革の結果、2018年3月期には3823億円の最終利益となっており、安定的に利益を出せる体質へ変化を遂げた。
日立用語

社内文章には、宛名は姓を丸括弧で囲む、課長以上は役職を表す記号を付ける、本部長以上はカタカナ2文字で略する、拝承、拝復、拝受といった略語など「日立用語」と呼ばれる独特の表記法が使われていたが、2022年ごろから使われなくなったという[18]
茨城県における日立

グループにはかつて、商社の日製産業もあった(現在の日立ハイテク)。また、「日研(にっけん)」は日立製作所の社内で使用する「日立研究所」の略称である。日立市内にあった旧日立工場(現在の三菱重工業日立工場)は東京ドーム約13個分の広さがあり、日立工場内で駅伝大会が開催されていた。
出資該当会社

SOMPOホールディングス(旧損害保険ジャパン

日立造船

ニッスイ

ニチレイ

リケン

東京モノレール

りんかい日産建設

クラリオン(19年1月末にフォルシアへ売却)

日産証券

みずほフィナンシャルグループ(旧日本興業銀行・旧第一勧業銀行・旧富士銀行のいずれも主力取引銀行であり関係が深かった)

芙蓉グループ

第一勧銀グループ(第一原子力グループ・勧銀十五社会のいずれにも参加)

興銀グループ


三菱UFJフィナンシャル・グループ(旧三和銀行は主力取引銀行、旧東京銀行(主に海外部門)・旧三菱銀行・旧東海銀行は準主力取引銀行としていずれとも関係が深かった)

三和グループ

三水会

みどり会


常陽銀行地方銀行であるが、上記都市銀行に並ぶ主力取引銀行である)

新明和工業

日油(旧日本油脂)

セントラル硝子

堀場製作所

ハンビットユビキタスエンターテインメント(韓国ハンビットソフト社との合同出資)

柏レイソル

サンロッカーズ渋谷

歴史
歴代社長

代氏名在任期間出身校
社長空席1920年 - 1929年
初代
小平浪平1929年 - 1947年東京帝国大学工学部
二代倉田主税1947年 - 1961年仙台高等工業学校
三代駒井健一郎1961年 - 1971年東京帝国大学工学部
四代吉山博吉1971年 - 1981年東京帝国大学工学部
五代三田勝茂1981年 - 1991年東京大学第二工学部
六代金井務1991年 - 1999年東京大学工学部
七代庄山悦彦1999年 - 2006年東京工業大学理工学部
八代古川一夫2006年 - 2009年東京大学大学院
九代川村隆2009年 - 2010年東京大学工学部
十代中西宏明2010年 - 2014年東京大学工学部


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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