日産自動車
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これと同時に事業構造改革計画「NISSAN NEXT(ニッサン ネクスト)」を発表し、コスト削減、過去の過度な値引きに依存した販売体制・老朽車種の刷新、電動化への対応を打ち出した[32]。翌2020年度決算では新型コロナウィルス(COVID-19)の影響により減収減益になってしまったものの、2019年度決算時に掲げた、損益分岐点の引き下げ、生産能力の削減、新型車の導入に成功した[33]。業績は依然予断を許さない状況にあるが、快方に向かっている。

2020年7月15日、新CIが導入され、ブランドロゴが19年ぶりに一新された(詳細は後節)。また、同年8月1日から10月23日まで体験型エンターテインメント施設「NISSAN PAVILION Yokohama(ニッサンパビリオン)」を横浜みなとみらい地区(61街区)に期間限定開設した[34][35]

2022年10月、ルノー、日産の両社は共同声明を発表し、資本関係の見直しとの引き換え条件に、ルノーが欧州で計画する電気自動車(EV)新会社に日産も出資を検討していることを明らかにした[36]。ルノーは現在、日産株43%を保有しているが、資本関係上の「不平等」を疑問視する声は根強く、このため、日産が出資比率の引き下げを改めて要請。ルノーが日産株を15%まで下げ、日産が持つルノー株の15%にそろえるのを軸に協議を進めると伝えられている[36]

2023年2月6日、日産とルノーは出資比率を15%の対等に揃えることなどを柱とした新たな提携で合意したと発表した[37]
前史ダットサン15ダットサン1000プリンス・スカイライン
(初代)フェアレディZ
(初代S30型系)スカイラインGT-R
(BNR32型)X-TRAIL・クリーンディーゼル
(T31型)セレナ・ハイウェイスター
(C25型)GT-R
(R35型)

1910年6月25日 - 鮎川義介福岡県遠賀郡戸畑町(現在の北九州市戸畑区)に戸畑鋳物株式会社を設立。

1911年4月 - 橋本増治郎東京府豊多摩郡渋谷町麻布広尾(現在の東京都渋谷区広尾)に快進社自働車工場を設立。

1918年8月 - 東京府北豊島郡長崎村(現在の東京都豊島区長崎)に新設移転し、株式会社快進社を設立。

1919年12月5日 - 久保田権四郎らが大阪府大阪市西区南恩加島町(現在の大正区南恩加島)に実用自動車製造株式会社を設立。

1925年7月21日 - 株式会社快進社を合資会社ダット自動車商会に改組。

1926年

9月2日 - 実用自動車製造株式会社をダット自動車製造株式会社に改組。

12月7日 - ダット自動車製造株式会社が合資会社ダット自動車商会を吸収合併。


1928年12月29日 - 持株会社日本産業株式会社を設立。

1931年6月29日 - ダット自動車製造株式会社が戸畑鋳物株式会社の傘下に入る。

1933年

3月 - 株式会社石川島自動車製作所がダット自動車製造株式会社と合併し、自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)を設立。戸畑鋳物株式会社が自動車工業株式会社より旧ダット自動車製造株式会社の小型車部門および大阪工場を譲り受け、戸畑鋳物株式会社自動車部を設立。

10月 - 戸畑鋳物株式会社自動車部が横浜市より埋立地約2万余坪(現在の日産横浜工場敷地)を買い取る。


沿革
1930年代

[38]

1933年12月26日 - 日本産業株式会社と戸畑鋳物株式会社の出資により、神奈川県横浜市に自動車製造株式会社を設立。鮎川義介が代表取締役社長に就任。

1934年

5月 - 横浜工場完成。

6月1日 - 日本産業株式会社の100%出資となり、日産自動車株式会社に商号変更。


1937年2月22日 - 日産自動車販売株式会社を設立。

1940年代

[39]

1942年11月9日 - 日産自動車販売株式会社を合併。

1943年 - 上海および京城府(現在の韓国ソウル特別市)の支店を廃止。

1944年9月18日 - 本店を東京都日本橋区通一丁目(現在の東京都中央区)に移転。


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