日産・フェアレディZ
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スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものや、松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このうちスポーツワゴンは松尾が1966年(昭和41年)に描いたスケッチを基に、松尾の協力のもとアメリカ在住でフェアレディZのレストア専門店代表の安宅二弥によって1台だけ再現され、2014年(平成26年)8月サンディエゴで行われた日産主催のZコンベンションにて披露された。1970年代当時、2ドアのシューティングブレーク(スポーツワゴン)はヨーロッパのコーチビルダー富裕層の注文を受けて高級GTを改造していたほか、一部の量産メーカーが大衆車をベースに製造していたが、日産では製造コストの課題と2ドアクーペ(標準車)の製造を優先したため、スケッチのみで終わった。松尾がプロトタイプまで作っていた2by2モデルは居住性と使いやすさへの追求が随所に現れており、ほぼそのままのデザインで量産化された。

1996年(平成8年)に北米でZ32型300ZXの販売が中止となった後、ファンからの要望で北米日産が新品および中古のパーツを集め、レストアしてS30型240Zを限定販売する企画が立ち上がり「ビンテージZ」と名付けられて販売された。しかし、発表直後からS30型Zの中古車価格が高騰し、レストア自体にも予想以上の費用と時間がかかることから採算が合わない上に応募者も殺到したため、当初200台の予定が39台に留まり、その後中止となった。また、ビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、すべて地元の板金塗装工場やショップが仕上げたため、個々の車体の仕上がりや仕様にはバラツキがある。

2022年11月8日、日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定された[8]
新車販売価格 フェアレディ 240ZGフェアレディ 240ZG、インテリア

日本国内における当時の新車販売価格は廉価版の「Z」が93万円、「Z-L」が108万円と、スポーツカーとしては比較的安価であったことでヒットした[3]。「Z432」は185万円[3]、後に追加された「240ZG」は150万円であった[9]
変遷
1969年(昭和44年)10月18日 発表

第16回東京モーターショー(10月24日)開幕に先立つこの日に発表され、同年11月に販売を開始した[3]。日本国内でのグレード展開は「Z」「Z-L」「Z432」の3種類[9]。「Z」「Z-L」はSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型エンジンを搭載。Zはベースモデルで4速MT。Z-Lはカスタムキット付でシンクロメッシュ付5速MTを搭載し、AMラジオ付きカーステレオ、助手席フットレスト、リクライニングシートなどの装備を充実させたモデル[3]。「Z432」はそれに加えて、マグネシウムホイールとデュアルエギゾーストを標準装着しており、旧プリンスで開発され、スカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備した4バルブDOHCS20型エンジンを搭載した高性能バージョン[3]。「432」のネーミングは「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構造に由来する[9]プリンス・R380と同じエンジンを搭載していることを強調して宣伝していた[3]。またレース用にボディ軽量化や装備を簡略化した「Z432R」も用意された。これはカタログには載ってはいたが公道を走れないレース専用車両で約10台が生産された。なお、アメリカとイギリスでは2.4LのL24型エンジンを搭載したダットサン・240Z(HLS30 / HS30型)を発売。
1970年


10月5日 - 「Z-L」にフロアセレクター式の3速AT(ニッサンフルオートマチック)車を追加[4]。5速MT車と比べると車両重量が25kg重くなり、燃費が2.0km/L低く、最高速度は180km/hとなる。また、フロアコンソールに照明付トルコン・インジケーターを取り付けた。

同日 - それまで有鉛ハイオクガソリン仕様のみであったが、無鉛レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加された[10]。。L20はハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps。S20はハイオクガソリン仕様160ps、レギュラーガソリン仕様155ps。

12月28日 - アメリカの自動車雑誌「ロード・テスト」における'71年スポーツカー賞を受賞[11]。同誌はダットサン・240Zがアメリカでも人気が高いことと、この車が受賞に最もふさわしいという旨をコメントしている。

1971年


3月15日 - 「Z」にも3速AT車を追加[12]、およびエアアウトレットをリアゲートからサイドの「Z」エンブレム部分に移設するなど細部のマイナーチェンジ。

7月16日 - アメリカの自動車雑誌「ロード・アンド・トラック」における1971年ワールド・ベストカーに選出される[13]。同誌は

ダットサン240Zは、その価格から考えると信じられないくらいすぐれた車である。性能、居住性、スポーツ性のどれをとってもすばらしい。スポーツカー史上、最もすぐれた車の一つといえる。とコメントしている。

10月20日 - また、それまで輸出専用であったL24型エンジンを搭載した「フェアレディ240Z」「フェアレディ240Z-L」「フェアレディ240ZG」を日本国内でも追加発売[9][14]。全車種レギュラーガソリン仕様かつ5速MTを搭載する。ラジエーターグリルは横線基調のデザインに変更され、フロントフェンダーやテールゲートに「240Z」のエンブレムが取り付けられた。「240Z-L」および「240ZG」にはヘッドランプカバーを装着、ワイパーを黒塗りとしている。最上級グレードの「240ZG」には「Gノーズ」と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。これによって、空気抵抗係数を示すCd値は0.390と当時としてはトップクラスの数値を達成した[2]。発表資料には主要諸元表だけでなく走行性能曲線やL24型エンジン性能曲線が掲載されており、走りの性能をアピールしていた[14]

1973年


4月 - 2.0Lモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジ。昭和48年排出ガス規制適合[15]、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置された。折からの公害問題やガソリン高騰などにより、「Z432」および「240Z」シリーズが生産中止となった。

1974年

輸出モデルは従前の2.4Lから2.6LのL26型エンジンへの変更で排気量がアップした「ダットサン260Z」(RLS30)に変更。260Zは一部を国内基準に適合させ、当時右側通行であった沖縄で販売されている。なお、日本国内でもL26型エンジンを搭載した「フェアレディ260Z」の発売を予定していたが、オイルショックなどの影響で断念された[16]

1月17日 - 全長を310mm延長した4人乗りモデル「2by2」(GS30型)が発表・発売された[15]。「Z」は4速フロアMT、「Z-L」は5速フロアMTと3速フロアATが組み合わせられる。全長を310mm延長し、大型のドアパネルを装備。日産によれば、「後席シートは、前席と同じ平織り布地を使用した座り心地のよいバケットタイプとした。」とのことで、後席の快適さに重点をおいたつくりになっている。

1975年
5マイルバンパーを装着した280Z

9月3日 - 昭和50年排出ガス規制の施行に伴い、SUツインキャブからL20E型(ドイツ・ボッシュ開発のL-ジェトロニック式電子制御燃料噴射装置・ニッサンEGI)に変更[1][17]。同時に排気系に触媒を有する、排気ガス浄化システム「NAPS(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を装着。型式が「A-S30・A-GS30」となる。輸出モデルは従前の2.6Lから2.8LのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z」(HLS30)に変更。ニッサンEGIシステムであるが、触媒などの排気ガス浄化システムは装着されていない。北米モデルは5マイルバンパーと呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーを装着。

1976年


7月30日 - 昭和51年度排出ガス規制の施行に伴い、排気ガス還流装置 (EGR) などを追加装備[18]


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