「にほん」、「にっぽん」二つの呼び方がある。どちらも多く用いられているため、日本政府は正式な読み方をどちらか一方には定めておらず、どちらの読みでも良いとしている[80]。
7世紀の後半の国際関係から生じた「日本」国号は、当時の国際的な読み(音読)で「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測される[81]。いつ「ニホン」の読みが始まったか定かでない。仮名表記では「にほん」と表記された。平安時代には「ひのもと」とも和訓されるようになった。
室町時代の謡曲狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代にポルトガル人が編纂した『日葡辞書』や『日本小文典』などには、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた[82]。このことから小池清治は、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している[83]。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、その他の言語も参照。
近代以降も「ニホン」「ニッポン」両方使用される中、1934年には文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したこともあったが、不完全に終わった。同年、日本放送協会(NHK)は「放送上、国号としては『にっぽん』を第一の読み方とし『にほん』を第二の読み方とする」旨の決定をした[84]。
その後現在も両方使用されており、2009年6月30日に政府は「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定している[80]。
現在、通商や交流の点で自国外と関連のある紙幣、切手などには「NIPPON」と描かれている(紙幣発券者も「にっぽんぎんこう」である)。
「にほん」(NIHON)
日本相撲協会、日本オリンピック委員会、日本経済新聞、日本航空、東日本旅客鉄道、西日本旅客鉄道、日本たばこ産業、日本アイビーエム、日本交通公社、日本ガイシ、日本製鋼所、日本マクドナルド、日本大学
「にっぽん」(NIPPON)
日本武道館、日本財団、日本医科大学、ニッポン放送、全日本空輸、近畿日本鉄道、日本貨物鉄道、日本電信電話、日本電気、日本郵船、日本特殊陶業、日本製鉄、日本取引所グループ
また、日本テレビ放送網(日本テレビ)、東日本電信電話(NTT東日本)・西日本電信電話(NTT西日本)のように、社名では「にっぽん」、愛称は「にほん」と使い分けている例や、東日本高速道路(NEXCO東日本)・中日本高速道路(NEXCO中日本)・西日本高速道路(NEXCO西日本)のように英字社名は「Nippon」、日本語での社名では「にほん」を用いる例もある。
日本経済新聞が2016年に行った調査によると、社名に「日本」が含まれる上場企業の読み方は、「にほん」が60%、「にっぽん」が40%であり、「にっぽん」と読ませる企業の比率が増加傾向にあった。テレビ番組名では「にっぽん」が使われることが多くなってきている[85]。なお、日本国憲法の読みについて、内閣法制局は、読み方について特に規定がなく、どちらでもよいとしている[86]。日本国憲法制定の際、読みについての議論で、憲法担当大臣金森徳次郎は「ニホン、ニッポン両様の読み方がともに使われることは、通念として認められている」と述べており、どちらかに決められることはなかった[84]。
日本の政党名における読みは、次のとおり(国会に複数の議席を有したことのある政党)。
「にほん」(NIHON)
日本共産党(1922-)、日本労農党(1926-1928)、日本自由党(1945-1948)、日本進歩党(1945-1947)、日本協同党(1945-1946)、日本農民党(1947-1949)、日本民主党(1954-1955)、日本新党(1992-1994)
「にっぽん」(NIPPON)
日本社会党(1945-1996)、日本自由党(1953-1954)、新党日本(2005-2015)、たちあがれ日本(2010-2012)、日本維新の会(2012-2014)、日本未来の党(2012)、日本を元気にする会(2015-2018)、日本のこころを大切にする党(2015-2018)、日本維新の会(2016-)
日本のオリンピック選手団は入場行進時のプラカード表記を英語表記の「JAPAN」としているが、1912年の初参加となったストックホルムオリンピックの選手団のみ「NIPPON」の表記を使っていた[87]。2021年の自国開催の2020年東京オリンピックでは入場行進時に「にほん」とアナウンスされている。
東京と大阪にある橋の名称と地名になっている日本橋は、東京の日本橋は「にほんばし(Nihon-bashi)」、大阪の日本橋は「にっぽんばし(Nippon-bashi)」と読む。
明仁上皇は一貫して「にほん」と読んでいる[84]。 古くから多様である。
呼称
和語
あきつしま - 「秋津(あきつ)」は、「とんぼ」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
「秋津島」
「大倭豊秋津島」(『古事記』本州の別名として)
「大日本豊秋津洲」(『日本書紀』神代)
あしはらのなかつくに - 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
「葦原の中つ国[88]」(あしはらのなかつくに、葦原中国)(『古事記』、『日本書紀』神代)
「豊葦原(とよあしはら)」
「豊葦原瑞穂国」
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)
「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)
うらやすのくに - 心安(うらやす)の国の意。
「浦安国」(日本書紀・神武紀)
おおやしま - 国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。古事記では順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。
「大八島」「太八島」
「大八洲」(『養老令』)
「大八洲国」(『日本書紀』神代)
くわしほこちたるくに - 精巧な武器が備わっている国の意。
「細矛千足国」(日本書紀・神武紀)
しきしま - 「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
「師木島」(『古事記』)
「磯城島」「志貴島」(『万葉集』)
「敷島」
たまかきうちのくに
「玉牆内国」(日本書紀・神武紀)
「玉垣内国」(『神皇正統記』)
ひのいづるところ - 遣隋使が煬帝へ送った国書にある「日出處」を訓読したもの。
「日出処」(隋書)
ひのもと - 雅語で読むこともある[注釈 16]。
ほつまのくに
「磯輪上秀真国(しわかみの:ほつまのくに)」(日本書紀・神武紀)
みづほのくに - みずみずしい稲穂の実る国の意。
「瑞穂国」
やまと - 大和国(奈良県)を特に指すとともに日本全体の意味にも使われる。『古事記』では「倭」、『日本書紀』では「倭」「日本」として表記されている。魏志倭人伝などの中国史書では日本(ヤマト)は「邪馬臺」国と借音で表記されている。また『日本書紀』では「夜摩苔」とも表記されている。「日本」の国号が成立する前、日本列島には、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称される国家ないし民族があった。『日本書紀』は、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、時間と共に「倭」が「大倭」になり「大和」へと変化していく。その後に更に「大和」を「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだとする[89]が、『旧唐書』など、これを疑う立場もある。神日本磐余?天皇(かむ やまと いわれびこ)、稚日本根子彦(わか やまと ねこひこ)など。また、隼人(はやと)などの呼称からすれば、元は山地の人を「山人」(やまと)といったことも考えられる。
「虚空見つ日本の国」(そらみつやまとのくに)
漢語
「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、扶桑蓬?伝説に準えた「扶桑」[90]、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に瀛州(えいしゅう)・東瀛(とうえい)と記される[91]。このほかにも「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。「皇朝」は、もともと中原の天子の王朝をさす漢語だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。江戸時代の儒学者などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている[注釈 17]。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「帝国」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後empireの訳語として使われている。大日本帝国憲法の後「大日本帝国」の他「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる[注釈 18]。
倭漢通用
江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』[92]に倭漢通用の国称が掲載されている。
「倭国」
「和面国」
「和人国」
「野馬台国」、「耶摩堆」
「姫氏国」、「女王国」
「扶桑国」
「君子国」
「日本国」 - 垂仁天皇2年、任那のツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)は、ある村に祀られていた白い石の変化である童女を得たが、その後に逃げた童女を追って「日本国」に入り、その童女が難波(なんば)と豊国々前郡(とよくにの みちのくちの くに)の比賣語曾社
その他の言語「外名#日本の外名」および「en:Names of Japan