日本
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第二次世界大戦の際には日本が蘭印作戦オランダ軍を破り、一時日本の占領下に置かれて当初は植民地支配の解放者として歓迎されていたものの、戦争が激化するにつれ皇民化政策が施されインドネシア人の中には「ロームシャ」として過酷な重労働に従事させられた者もいた[373]。しかし、独立の際に一部の日本人が関与したこともあり、親日派もいた一方、1960年代の政局の混乱のなか共産党勢力の台頭に伴い中国などへ接近したが、1966年以降のスハルト体制は再び日本との関係を強めた[374]。ただし1970年代には日本企業がインドネシアに次々進出、インドネシア経済で支配的になったことから、それに反発して田中角栄のインドネシア訪問に合わせて大規模な反日運動「マラリ事件」が起こった事もある[375]

現代では、2001年のアメリカ同時多発テロによって米国との関係が悪化し、2005年まで武器禁輸などの制裁を受けた。そのためロシア中国との関係強化を進め、しかしいずれの国とも軍事同盟を結ばないなど多極外交を展開している[376]。日本との関係は良好で、日本にとっては液化天然ガスの死活的に重要な供給国であることから、多数の日系企業が進出、エネルギー事業に携わっている[377]。また日本の政府開発援助(ODA)はハードインフラ整備に加え、市民警察活動促進計画[注釈 54]など統治能力支援(ガバナンス支援)や法整備支援[注釈 55]などソフトインフラ整備の支援にも及んでいる。スマトラ島沖地震では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更にアチェ州海上自衛隊の艦艇を派遣した[380]。防災システムの構築にも支援を行っている。「日本とインドネシアの関係」も参照

カンボジア:旧フランス植民地のカンボジアとは、戦後まもなく国交が樹立されたものの[381]ポル・ポト政権時代には大使館を閉鎖するなど事実上国交は一時断絶していたが、政権崩壊後の1990年代には正常化している[382][383]。日本からは経済的援助がなされておりカンボジアにとって日本は最大の開発援助国であるほか[384]自衛隊を活用した地雷撤去の活動や教育支援なども精力的に行われている。また、文化面でもクメール・ルージュによって破壊・弾圧された仏教の施設や信仰の復興に、日本の仏教界が大きく貢献している。一方、カンボジアは日本の常任理事国参入について不変の支持を行っている[385]。一党独裁化を強め欧米から批判を受け支援を打ち切られているカンボジアに対し日本だけが支援を継続しており、日本は経済支援と民主化の同時進行を促す立場をとっている[386]。しかし日本がカンボジアに選挙の資金援助した2018年の選挙ではカンボジア政府が最大野党の解体を決定、全議席が与党のものとなり民主化は逆行している[387]。「日本とカンボジアの関係」も参照

シンガポールイギリス領マラヤの中心都市だったシンガポールは、明治時代山本音吉がやってきた事によって初めて日本と交流を持った[388]第二次世界大戦では日本の侵略を受ける。シンガポールの戦いの結果日本軍が占領、昭南島と改称され(日本占領時期のシンガポール)、1945年(昭和20年)の日本の降伏まで軍事占領と華僑を中心とした住民の抵抗が続いた[389][390]シンガポール華僑粛清事件が日本軍の虐殺行為として記録されている[391]。シンガポールにおいて日本の占領が始まった2月15日はトータル・ディフェンス・デーとして国防意識を高める記念日になっている[392]

1966年(昭和41年)にシンガポールがマレーシアから追放されて分離独立すると日本は直ちに承認し、友好関係を維持した。2002年(平成14年)には日本・シンガポール新時代経済連携協定を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国であり、要人往来も活発で経済・政治において緊密な関係を保っている[393]。「日本とシンガポールの関係」も参照

タイ14世紀ごろよりアユタヤ日本人街が形成され、最盛期には3000人の日本人が居住するなどアユタヤ王朝支配下のタイで経済的な影響力を持った[394]山田長政が当地で活躍した[395]。その後、江戸幕府鎖国政策を取ったため日本との交流を喪失したが、アユタヤ日本人街18世紀まで存続していた[396]。日本開国後、1887年には日・タイ修好宣言が結ばれて本格的に国交が再開している[397]大日本帝国タイはともに植民地化を免れた共通点がある事から友好関係が築かれ、1932年にはタイ立憲革命が巻き起こったが、それは駐シャム公使矢田部保吉をはじめとする日本人の支援も背景にあった[398]第二次世界大戦では枢軸国とはされていないが、日泰攻守同盟条約を結んで日本軍が進駐、日本に対し協力的な姿勢を見せた[399]

戦後は日本の国際社会復帰に尽力、現代では親日国として知られ[400]、経済的に深い繋がりを有している。タイの国際貿易に占める対日割合は、輸出9.5%、輸入15.8%(2016年)であり、中国に次ぐ主要貿易相手国となっている[401]。また、日本のタイへの直接投資額は1,489億バーツに上り、これはタイの全投資額の4分の1を占めた[401]。2007年には日本にとってアジア三か国目となる経済連携協定が結ばれた[402]。人件費・製造コストの低さからかねてより日系企業の製造拠点が多く置かれていたが、近年では経済成長により消費市場への転換も見られる[403]タイ王室皇室との関係も良好で[404]、日本を訪れるタイ人も増加している[405]。2004年のスマトラ島沖地震では自衛隊タイ派遣も実施された[406]。「日泰関係史」も参照

フィリピン朱印船貿易を通じて安土桃山時代から交流を持ち、多くの日本人が移り住んでマニラ日本人街が形成された[407]


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