日本
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^ ベトナムは、フランス植民地になるまで漢字を使用していたときの名残。ベトナム語大辞典などで実際の発音を確認できる。
^ 1851年に発表された小説『白鯨』では海図を確認する場面で『Niphon』の表記が登場する。
^ 天皇は宇宙に君臨し、王朝交替もないという建前から国号は不要とも考えられる。
^ 宇治谷孟講談社学術文庫の現代語訳で裴世清の「倭皇」は残しているが、伊吉博徳の書にある「倭」「本国」を「日本」に改めた箇所があり注意が必要である。
^ 確実ではないが伊勢神宮を参拝した可能性が高い。
^ 1番では「山跡」2番では「山常」「八間跡」29番と35番では「倭」と表記されている。
^ 694年以後697年以前に詠まれた作者不詳の「藤原宮の御井の歌」(52番)の「日本」も同じ意味であり『旧唐書』『新唐書』の「日本は小国だった」という記事はこの時期の呼称を指す可能性もある。63番に702年の遣唐使に参加した山上憶良が唐(正しくは)で新国号「日本」を詠み込んだ歌が収録された後、64、70、71、73番の歌では大和国の表記は「倭」に戻っている。
^ 「天皇」も日本側の自称であるが、『日本書紀』には煬帝が倭王を倭皇と改め、日本側がこれに乗って天皇と称したと見られる記事がある(原文は「唐」)。
^ 天武天皇は、飛鳥浄御原令が成立する以前の686年に没している。
^ これらの記述は、天武天皇が大友皇子の近江朝廷を滅亡させた壬申の乱を示すとする説がある。
^ 井真成墓誌は、中華人民共和国の陝西省西安市内工事現場で発見されたと、2004年10月に発表された。
^ 呉音でデイ・グン、『日本書紀』で禰軍とかきネ・グンとよむ[136]
^ 神野志隆光は、日本の称が中国の世界観の中から生まれた可能性を指摘した上で、故に日本の国号が唐に受け容れられたのではないかと考察している。熊谷公男は神話観念で裏打ちされた国号の意義を唐を主体として解釈しては一貫性がなくなるとしてこれに反対し、日本は日神の真下にある国と解すべきとする。
^ 「広辞苑」(岩波書店、2008年1月第6版発行)によれば、「近代」とは「広義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうけた資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋戦争の終結までとするのが通説。」と、「現代」とは「日本史では太平洋戦争の敗戦以後または保守合同の1955年以降、世界史では19世紀末の帝国主義成立期以後、ロシア革命第一次世界大戦以後、第二次世界大戦後など、さまざまな区分が行われている。」とそれぞれ定義されている。
^ 那珂通世は、『緯書』の鄭玄注に、1260年に一度(干支一運の60年(「1元」)×21元=「1蔀」)の辛酉年には大革命が起こるとあり、これをもって推古天皇9年(601年)の辛酉年から1260年前で当たる紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を唱えた。なお、神武天皇に殺された長髄彦の兄安日彦が津軽に亡命したことをもって日本の建国とする古文書・古文献(『中尊寺文書』、『平泉雑記』など)が東北地方に伝わる。
^ 現生人類の到達は3.5万年前。それ以前の遺跡はデニソワ人などの旧人が遺したものである。
^ 近年の研究では氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡には海が残り陸続きにならなかったことが分かってきている。
^ 山形県において紀元前10世紀ごろの青銅器(刀子)が出土しているが生産は紀元前2世紀ごろから始まる。横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』p.21-22
^ 正確には、オスマン帝国1876年に制定されたミドハト憲法の方が先であるが、短期間で停止された。
^ 日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。明治憲法には領土規定がなく、ロエスレル案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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